私はよく、「自分がお留守」
という表現をします。
セッションで様々な方の
エネルギー状態をリーディング
しますが、
まず、「自分がお留守」の方で
しっかりと肉体にエネルギーボディが
収まっている人はいません。
エネルギーボディがどこか
別のところに逃げていても、
肉体はここに在って話もできるし
体も動くけれど、
しっかりと本来のポジションに
ある人と比べると、あきらかに
どこか虚ろな感じがあります。
それは、リーディングとかが
できなくても、傍から見れば
違いはわかります。
以前、サロンでワークショップを
やっていたとき、色々解放が進んだ後、
皆さんで最後にシェアをする時間が
あったのですが、
ワークが終わった後のお顔と、
それ以前のお顔の表情が、明らかに
生気が戻り、目にも力が宿っている
様子を、その場の皆さんが見て取って
いらっしゃいました。
普段は自分がお留守の状態が
デフォルトになっているので
気付けないけれど、
本来在るべきところにちゃんと
収まって自分がいる状態というのは、
このように力強く、輝いていて、
心も安定しているのです。
ではなぜ、自分がお留守状態になるのか。
それは、
今ここに居るのが嫌だから。
今ここに居るのは、
あまりにも辛すぎて危険だから、
居たくないんですね。
でも、体は逃げられないので、
意識だけが逃げてしまう。
こうなると、本来現場で
様々に対処しなければいけない
主体がいないので、現場を適切に
収めることが出来なくなります。
現場監督が現場を放棄して
残った作業員が右往左往している
ようなものです。
そこにするっとよからぬ者たちが
入り込んでしまうこともあります。
空き巣みたいな感じで、
お、丁度良いところに体があった!
と主の座に収まります。
中には、自分でそういう存在を
呼んできて、自分の代わりに
居てもいいよ。という契約を
しているケースもあります。
そのように、
別の存在が主の座に収まっている人が
ワークをすると、どうしてもうまく
自分の感情を捉えられなかったり、
統合することができなかったりします。
というのは、
自分の感情を受け止め、統合できるのは
自分だけであり、代理の存在では
絶対にそれはできないからです。
入り込んだ別の存在は、
一生懸命その人のふりをして
やろうとしますが、
所詮は他人のこと、主体意識は当然ないし、
文字通り、他人事なんですね。
このワークをまとめたときは、
最初はこういう存在の概念を
考慮していなかったので、
なぜか、どうやっても
解放まで至らないケースがある、
というのが不思議だったのですが、
あるとき、セッションで明らかに
その人の中に別の存在の気配を感じて
掘り下げて行ったら、そういうケースが
あるのだということがわかったのでした。
以来、それはワークでも重要な
考慮すべきファクターになっていますが、
自分の人生の当事者として
責任を持って生きるというのは、
こういう事情からも重ねて
お伝えしているわけです。
自分の人生なのに、
あなたはどこにいるのでしょう?
今、自分の人生を生きているのは、
誰なんでしょう?
あなたにも、入り込んでいる存在にも、
自身の生きる道があります。
他者の人生に介入するよりも、
自身の人生に戻って本分を果たすのが
健全な在り様だと私は思います。
だから、セッションではよく、
入り込んでいる存在に、
自分の生きる道に戻るよう促し、
お送りすることをします。
そのようにしてただ追い払うのではなく、
それぞれが、自分の道を生きられるように
在り様を整えていくわけですが、
自分が自身の人生の主体者として
生きていないのなら、いくら
入り込んでいる存在を追い払っても、
入れられたインプラントやプログラムを
除去しても、また同じ状態になる事態を
自ら招いてしまうでしょう。
だから、単に祓えば良い、
取り去れば良いというものではないのです。
痛みの多い人生であったとしても、
それでも自分の人生から逃げず、
受け止め、昇華させていく
在り様を求めていきましょう。
誰しも、自身の人生を
そのように生きられる力は
本来備わっています。
ただ、それを汲み上げ、引き出し、
磨き上げていくよう、
自身を鍛錬していく必要は
ありますけれどね。
自分にどんな力があって、
輝いて行けるのか。
それを探求していくのが、
あなた自身の唯一無二の人生なのです。