私たちは、
自分というこの存在の持つ
エネルギーの扱い方を、生涯かけて
学んで行くのだろうな、
と思うのですが、
当然、うまく扱えなければ
そのエネルギーは手の付けられないほどに
荒れ、暴走したり、持て余しては
抑圧し、そのことでまた別の苦しみを
生んでいくことになったりもします。
この世界で起こる様々な混乱や
事件のようなものは、結局は
それぞれが自分の生命エネルギーを
正しく扱うことが出来なかったことの
結果、起こっているのではないか
と思うのです。
こうした生命エネルギーは、
人それぞれに個性豊かで、
質感もボリュームも、それこそ
容姿や才能と一緒で一人として
同じということはありません。
自分がどんな資質のエネルギーを
どのくらいのボリュームで持っているのか
というのを早い段階で見極め、
その資質に沿った扱い方を
身に着けて行けたなら、
どれだけ人生は有意義に生きられる
でしょうか。
それがなかなかできなかった方も
少なく無いと思いますが、
たとえ回り道をしたとしても、
今、こうして自分に向き合い、
それを知る機会を得ていることは、
人生の福音であろうと思います。
私は感情のエネルギーを通して
その扱いを学んできましたが、
知れば知るほど、奥が深いものが
あります。
基本、感情のエネルギーは
どんなに醜く思えても、
それ自体に善悪はありません。
これは感情解放ワークの世界観の
一丁目一番地ですが、自分の中に
そういうものが見えると、
私たちは反射的にジャッジメントし、
抑圧したり否定したりするものです。
そしてその自分の反応に、
当たり前すぎて疑問を抱くことすら
ありません。
けれども、そのように否定され、
抑圧された感情のエネルギーは
心の奥深くに分離、封印され、
それによって
ものすごく荒れすさんでいくのです。
その結果、
どうにも手の付けられないほどに
狂暴さを増し、ますます忌み嫌われ、
ガチガチに抑えつけられ、
奥底で超高密度に圧縮された
おどろおどろしいエネルギーに
熟成させられてしまうのです。
つまりは、
その感情のエネルギーを
醜く狂暴なものに育て上げているのは、
私たち自身のその扱い方、
態度なのです。
多くの人はそのことを知らず、
最初からそれは邪悪な性質の
エネルギーであり、自分の中から
消し去って、清く正しい自分に
ならなければならないと誤解をしています。
けれど、それは
自分自身の一部であるが故に、
消し去ることはできないのです。
できるのは、正しい扱い方をして、
抑圧、封印するのではなく、
深く理解し、受け止め、
自分の一部として迎え入れることです。
仲間外れにするから、
不安定になってコントロール不能
になるのです。
この感情のエネルギーを
人に例えてみると
わかりやすいと思います。
たとえば、ある人に対して
アイツは悪い奴だ!というレッテルを
強烈に貼ってみんなで仲間外れに
したとします。
すると、その人はとても傷つき、
社会とのつながりも持てず、
分離され、コミュニティの中でも
異質で不安定因子として
存在することになります。
その人は、自分をそのように
扱った社会に対して、
深い恨みを抱くかもしれません。
そうしてその人の中の闇は
むくむくと育ち、よからぬ思いを
温め始めます。
そしてそれが長いこと掛かって、
ある日、あるタイミングで
爆発し、とんでもない事件となって
社会に衝撃を与える。
そんな構図の出来事が、
この私たちの社会のあちこちに
あるのではないでしょうか。
これと同じことが、
私たち自身の心の内で起こっている
わけですね。
社会で起こる事件は、
私たち自身の内面の未熟さを
表しているとも言える
かもしれません。
もし、そういう存在たちが
内に抱える痛みに対して、
もっと深い理解とともに
温かなケアと居場所を提供することが
できていたら、
あれ程までに深い恨みと怨念が
暴発することはなかったのでは
ないでしょうか。
あなたの人生にも、
そうして手に負えなくなった
感情のエネルギーが暴発した結果、
手痛い思いをした事件が
なかったでしょうか。
感情のエネルギーの性質と
正しい扱いを知ることが、
どれだけ人生を豊かで有意義なものに
することでしょう。
自分自身のあらゆる側面を
大らかに、まるっと受け止め、
愛していきましょう。
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