日々色々なご相談を受ける中で、
自分のことではなく、家族のこと、
知人、友人などのことなのですが、
とご相談される方があります。
そういう風に持ちかけられる時、
私はいつも、微妙に違和感を
感じるのですが、この違和感は
何なのだろう?と思って見ていくと、
この方は、それは
「自分の問題なのではなく、
相手の問題なのだ」と認識されている
というところに違和感を感じている
のでした。
つまり、
自分には問題がないので、
問題のある相手にどう接したら良いか、
相手が変わってくれるためには、
どんな働きかけをしたら良いか、
ということに対する答えを
求めているのでした。
私のお伝えしている感情解放ワークでは、
自分の人生に起こるすべてのこと
に対する起点は、自分自身である
という大前提があります。
つまり、
自身の人生に起こって来た、あるいは
現れてきたそのこと、その人を
どうしたら良いかというよりは、
それに対して自分自身はどう在るか、
というところを探求していくのが
このワークなのです。
つまり、
変えるべきところがあるとするならば、
まずそれは自分自身だし、
何か問題があるとするのなら、
対処、応答すべきは自分自身に対して
なのです。
その視点を抜きにして、
自分は何も変えないけれど、
相手を変えようとか、その出来事の
表面的なつじつま合わせをして
平穏を取り戻そうという試みは、
うまく行かないでしょう。
なぜ、その出来事が自分の人生に
起こって来たのか。
なぜ、その人がそのような姿、言動で
自分の人生に現れ、何かしら
心にさざ波を立てるようになったのか。
どんなに自分の常識や社会的規範から
外れたぶっ飛んだ人であったとしても、
それを人間目線の基準でジャッジメント
し続けている限りは、
その人を通して差し出されている
学びやお知らせには気づけないし、
受け取れもしないでしょう。
見るべきなのは、
あの人がこう言ったから、
こんなことをしたから、
だからあの人が悪い、
これが良くなかったということではなく、
それを通して自分の中に湧き起こった
気持ちと、相手がそれをしてきた
動機となる気持ちを深く見つめ、
掘り下げていくことで
気づきがやってきます。
目の前に現れる人や出来事は、
突き詰めて言ってしまえば、
自分の中の奥深くに隠れていて
未完了の気持ちを浮上させる
きっかけに過ぎないのです。
でもだって、
あの人はこんなにも非常識で、
起こった出来事はこんなにも
理不尽なんですよ!と
言われるかもしれません。
でも、そのくらいに
度が過ぎたキャラクターや出来事
でなかったら、きっとあなたは
またぐっと我慢し、華麗にスルーして
気にも留めずにこれまでの自分を
そのまま続けていたでしょう。
もう黙ってられない!
我慢の限界だ!というくらいにならないと、
あなたは行動を起こすこともしないし
自身の作り上げた平穏な世界を
ぶち破ってまで、自分の在り方を
変えようとしないからです。
魂目線から見たら、
それは至極真っ当というか、
必然の出会いであり、出来事だったでしょう。
それを通して問うべきは、
あの人をどうしたら良いかではなく、
自分は何に気づくべきなのか。
この状況に対して、
何を返していくべきなのか、
でしょう。
しっかりと自分に基点を置いて、
自分自身の在り様を振り返ってみることです。
なぜその人、そのことが
「問題」になるのか。
同じ状況、人に接しても
問題にならない人もいるでしょう。
けれど、あなたにとっては
非常に問題に感じられる。
その違いは何でしょう?
まさにそのことこそが、
深く深く見ていくべきポイントであり、
対処して行くポイントになります。
でもだって、
外側の人やことが変わらなければ、
問題は解決しないでしょう!
と思われるかもしれません。
結論から言ってしまえば、
自身の在り様が変われば、
相手の言動も変わるかもしれないし、
何より、相手が変わらなくても
あなた自身が問題と感じなくなって
いきます。
いずれにせよ、
問題と見えたものは、
いつの間にやら消えていきます。
ということは、
何かや誰かを問題に作り上げていたのは
自分自身なのであり、自分の在り様ひとつで
この世界は天国にも地獄にもなるのです。
如何に在るかを
自分自身に深く深く問うていってください。