ここのところ、
これからの自分の人生を
どう生きて行こうか、というのを
考えることが多くなっています。
先日、家や家族のことについて
色々考えて一つの結論を出してから、
その先のことについても、
意識を向けています。
終わりの青写真に着実に近づいているという
その兆しのようなものは日を追うごとに
あちこち、現れてきているのですが、
かと言って、まだ具体的に何か動き出す
時期でもなく。
考えておくべきこと、
確認しておくべきことは
できる限りして、密かに
心の準備を進められるだけでも、
突然そのタイミングが来るよりは
ずっと有り難いです。
個人的な人生の節目が近づいているのと
同時に、この世界も大きな変わり目にあって、
本当に大変な世の中だな、と思います。
ある意味、
非常に稀有な時代を生きていることを
楽しむ思いもある一方、
さて、自分はこの時代に
どんな自分を表現するのか?という命題を
改めて問う日々でもあります。
これまで、祖父母や両親、もっと前の
ご先祖様たちですら経験したことのないような
大きな時代の変革期にあって、
お手本にできるようなものもなく、
情報も真偽入り乱れて非常に識別しにくい
状況の中では、自分自身の内なる羅針盤たる
ハートを頼りに道を行くしかないのだろうな、
と思っています。
頭であれこれ考えれば、
色々と理想のビジョンやら何やらは
出てきそうですが、
実際のところ、
マインドの思考から来るそうしたものは、
本当の自分自身の人生のビジョンとは
違っているので、
どこか情熱が湧かず、
動く気にもなれなかったり、
空回りしたりしがちです。
現実問題、
肉体を持って人間として生きているので、
この年齢になると心身共に、
若い頃とは違ったこの入れ物で
現実に向き合わねばなりません。
まぁ、そういうことも含めて、
この時代にこの年齢になるように
生まれてきたということ
なのでしょう。
確かに振り返ってみれば、
今よりももっと若い時代に
このタイミングを迎えていたら、
それはそれでまだまだ準備不足
だったかもしれません。
今だからこそ、
積み重ね、練り上げてきたものが
ある程度成熟した状態で
今に向き合えているのでしょうね。
そういうところから逆読みすれば、
自分がこの時代に何をやりに来たのか
というののヒントになりそうですね。
これからこれを、
どう生かしていくのか。
もっと別の展開法があるのかどうか。
マインドに入り込み過ぎないで
毎瞬、今この瞬間に向き合いつつ、
ここに在る、という在り方自体が
私からの人生への応答になるのでした。
私はまだまだ人生の優先順位を
間違ったものを上位に置いて、
本当に大切なものをないがしろにして
背を向けてしまっています。
頭ではわかっている。
けれども、それを実践することの
難しさよ。
人生の真実がどこに在るのか。
どこから離れて、どこを彷徨っているのか。
あまりにも長いこと彷徨い続けてきて、
それが安住の地、故郷だと勘違い
してしまっているのですね。
人生の真実は、今ここにしかない。
と、深い目覚めた意識のマスター
レナード・ジェイコブソンは言いますが、
多くの人が思い描く「今ココ」と
彼の言うそれは、全く違うのです。
それを間違えたまま、
その後のストーリーを展開させて
しまったが故に、私たちの多くは
永遠の迷子になってしまいました。
人生というものの意味、意義も
恐ろしいほどに変質してしまった。
私の人生は、とうに折り返し地点は
過ぎていると思うけれど、
願わくば、この残された時間の内に、
人生の真実に深く根を下ろすことが
出来ますように。
この瞬間のこの自分の在り方を
積み重ねていきます。