人生で、魔が差すときって
誰にでもあると思うのですが、
そうして失敗をしてしまったら、
何が原因だったのかを
きちんと総括するのは、
とても大事だと思います。
それは、
自分にどんな心の隙があるのかを
自覚することでもあり、
その弱いところに適切に対処することで、
次からは魔の囁きに屈しない
自分になっていきます。
故に、その隙をいつまでも放っておくと、
何度でも同じパターンの失敗を繰り返し、
やがては致命的な事態を引き起こし
かねないのです。
弱いところは誰にでもありますが、
よからぬ者は、そういうところを
実に巧みに引っかけていくんですよね。
その心許なさ、不安感、無力感などを
どうにか解消したいという欲求を
私たちは持っているわけですが、
それをお手軽に解消してもらえる
何かを提示されると、渡りに船!
と、つい飛びついてしまうのです。
そうして、大事なものを失ってしまう。
たとえば、お金の不安を持っている人が
お金を増やそう、稼ごうとして
投資詐欺などに引っかかるとかいうのは
その典型です。
投資自体が悪いわけではないでしょうが、
問題なのは、自分でもよくわかっていない
ものを安易に丸呑みして飛びつくことです。
人でもものでも、ちゃんと吟味して
自分の中で感覚的に消化するように。
フワフワした感覚のまま、
みんなもやってるし、そう言われているから
大丈夫だろう、という人任せな判断は、
大体痛い目を見ます。
頭での論理的な理解とともに、
ハートの直感的な感覚も疎かにせず
両輪で使っていくことが大事です。
頭では、欲で興奮して
これはすごいんだ!良いことに違いない!
と思い込んでいても、ハートでは
違和感や強い不安感を感じて警告を
発している、なんてこともよくあります。
頭の論理では判断しきれない、
もっとずっと本質的なところを、
ハートは見抜いて教えてくれているので、
日頃からハートの声を受け取れる
自分であろうとする心がけが、
いざというときにものを言います。
こういうことは、
普段から実践していないと、
いきなりはできないんですよね。
自分の中で、
確かな感覚が掴めないものは、
安易に信用したり重用しない方が
良いでしょう。
その何だか良くわからないところに
とんでもないものが
隠れていたりしますから。
何でもかんでも疑えというわけでは
ありませんが、最終判断は必ず
自分軸で行うことです。
詰めが甘い人は、
ハートの声を聞かず、
どこか自分自身を誤魔化している
ところがあるような気がします。
そこを流さずにきちっと
意識的にやるだけで、自身に対する
最終判断の責任をしっかり果たす
ことができるのです。
こういうことを積み重ねていく先に、
より深い自分軸が育っていく
のだと思います。
決めること、判断することを恐れて
避けようとする人は多いですが、
そうして安全を選択したようでいて、
自分を誤魔化し、逃げたことによる
失敗の在り方の軌道修正ができなければ、
どれだけ避けても、同じ失敗のところに
戻ってきます。
避けるのではなく、
学び、マスターすることの方が、
余程建設的ではないでしょうか。
きちんと直面して、
自分に何が必要なのかを知ること、
そして、その必要に一つ一つ向き合って、
満たしていくこと。
そういう段階を、
手っ取り早くお手軽な何かに丸投げして
疎かにしないこと。
誰かが与えてくれる答えは、
自分にとっての正解とは限りません。
それが正解だったとしても、
自分なりに咀嚼して、血肉として
いかなければ、いつまで経ってもそれは
取ってつけた様な異物でしかないのです。
借り物の概念では、
自分の人生を本当に生き、
表現したことにはなりません。
そういうプロセスまで、
人任せにできると思うのは間違いです。
もしそれが可能だという声が聞こえてきたら、
あ、魔の囁きが自分を誘惑している、
と思いましょう。