人は、自分自身を無力に感じる時、
何かでそれを埋めようとします。
お金であったり地位や権力、家柄や
高級なバッグや時計、車など。
ときには、
ペットや自慢のパートナー、子供にさえも、
自分に付加価値を感じさせるような
ステイタスを求めていたりします。
本来尊重されるべきその人の個性も無視して、
いかに自分を引き立て、周囲に鼻高々に
自慢でき、自分の自尊心を満足させられるか
により強い関心を持ち続けているケースも
よく見かけますね。
そういうもので自分を鎧固めて、
どうだ!すごいだろう!と
相手を圧倒してみたり、
自分自身に「箔」をつけて、
心の奥底の虚しさを隠しているんですね。
けれど、そうやって身に着けたものは
本当のところ、自分の本質には何ら
関係のないものであり、やがては
失われていくものばかりです。
それらでは、
自分の心に本当の安らぎを
もたらしてくれることはありません。
その虚しさ、惨めさ、無力感は、
自分自身の内から湧き出るもので
埋めるしかないのです。
けれども、それらに苛まれ、
心の奥で劣等感に苦しむ人は、
しばしば、本当の力の源泉である
自分自身に帰ることを最も後回しにし、
避けて別のところに彷徨うことを
なかなか止めようとしません。
最も信頼できない存在、
無力であると信じているのが、
自分自身だからです。
そうして、自分が
これには力がある、と信じたものに
パワーを与え、それをまとうことで
自分をパワフルにしようとします。
お金にせよ持ち物、地位や肩書など、
本来はそれ自体には何ら意味のないもの
ですが、自分がそれには価値がある、
力があると自分の世界で信じていると、
実際それらにはパワーが宿ります。
水戸黄門の印籠に権威があるのも、
それを信じている人たちがいるから
ですよね。
外国人に葵の御紋の印籠を見せたところで、
ハハ~!m(__)mとひれ伏すことには
なりません。
つまり、自分の世界において、
それに力を与えるのは、自分自身なのです。
ということは、
パワーの源は自分自身。
けれども、外側の様々なものに
あなたが力を与えるほどに、
あなた自身は無力になっていきます。
たとえば、学歴に力を与えれば、
あなたの人生では学歴があなたを縛り、
素のあなた自身を無力にさせるでしょう。
力があると条件設定した
外側の属性をもっていない時、
あなたは一体何者でしょうか。
どんな力がありますか?
その自分に価値はありますか?
その学歴、家柄、容姿、持ち物、能力がない時、
周囲はあなたを尊重し、大切に扱って
くれるでしょうか。
結局、自分が自身の心の隙間を
埋められないのなら、素の自分でいる時の
耐え難い苦痛は、いつまでも
あなたの心を苛み続けるでしょう。
自分をもっと強固に鎧うものを
常に求め続け、人と比較し、
優越感を感じられるように張り合い、
本質に目を向けられずに、
表面的な戦いに心は疲弊していきます。
どんなに華やかに、自信満々に見せても、
どこか堅苦しく余裕が無くて、
自由がない心は、わかる人には
透けて見えてしまうでしょう。
本当に安らぎを得たいのなら、
外側のものにパワーを与えるのを止め、
深く自分自身に根を張って、
内から湧き上がる力につながることです。
自分に力などない、と信じる人ほど、
本当にそうなのかどうか、
内なる力を確かめようとはしません。
何か、過去の痛い出来事によって、
そう信じるに至った方も多いですが、
それは癒すことが出来るし、
最終的にはそこに帰っていく
しかないんですね。
何かを持っているから、
何かができるから自分には力がある、
価値があるのではなく、
ただ在ることによって満ちていく。
頭ではなく、本当にそういう力に
触れて行けると良いですね。
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