極限の闇の中で、
どれだけ自分が保てるだろうか、と
そんなことを考えてしまう自分が
いつもどこかにいます。
ものすごく疲れている時とか、
精神的に参ってしまっている時、
気が狂いそうなほどの恐れや不安で
一杯一杯の時、そんな状況が
長期で続いたら、果たして自分は
自分でいられるのだろうか。
健康で心が平安な時は、間違うことは
あまりないかもしれないけれど、
そうなったら正直、まるで自信は無いな、
と思うのです。
なぜそんなことを考えてしまうのか。
魂のどこかに、そんな状況を体験した
人生の記憶でもあるのかもしれませんが、
所詮、自分の心の強度など知れたものだ、
という思いは常にあるし、日常の中で、
思い知ることも多々あります。
そんな中、少しでも自分の限界を
広げられたら、という思いで、
日々自分の心の様々な動きを見つめ、
対峙しています。
たとえば、
自分の心がどんな時に浮足立つのか。
それなりの恐怖を感じたとき、
まさに浮足立つという言葉の通りに
自分の意識が肉体から浮き上がって
ズレる感覚があったり、
極端に呼吸が浅くなって、
意識のフォーカスが定まらなくなる感じ
などを捉えつつ、その一つ一つの
ポジション修正をしていきます。
そうしていくと、
どうにか恐怖を受け止めつつ、
それに飲み込まれないで現場に留まり、
地に足を着けて対処をしていくことが
できるようになります。
セッションの最中に、
ダークサイドの存在に遭遇したとき、
初めての時はすごくびっくりしたけれど、
自分の心を収めて対峙してみれば、
結局のところ、彼らの力の源泉は、
人間の恐怖なのです。
だから、彼らに恐怖したら、
彼らに力を与え、大きくしてしまう
ことになります。
彼らは、私たちが浮足立って、
混乱したところを足元をすくって
行くわけです。
そういうことを理解しておくと、
浮足立って自分から離れてしまう
隙を見せてはいけないし、
自分に留まり、自身の中心からの
力をしっかりと感じていれば、
容易に彼らにコントロールされる
ようなことはないのだとわかります。
あとは、自分の中心にどれだけ密度高く、
深く根を張れるか、という問題ですね。
相手がどれほど自分を圧倒するような
強大な存在に見えたとしても、
結局、対峙する時は、
いかに自分が自身の恐れを制するか
ということなんだと思います。
けれども、
ここで気を付けなければいけないのは、
だからと言って、恐れを抑圧するのは
違うということです。
恐れを抑圧して、
本当は恐れているのに恐れを感じない
状態になっている人をしばしば
見かけますが、
その状態だと、
見えなくはなっているけれど
無くなったわけではない恐れのエネルギーが
自分でも気づかないところで暴れて
現実に支障をきたすことがあります。
目隠しをしてただ見えなくしているだけ
という状態は、却って危険でもあるのです。
だから私がワークをする人には
恐れても良い。けれど、怯んではならない
と常にお伝えしています。
自分が恐れている感情を抑圧せず、
気づいていること。そしてその恐れを
受け止め、昇華させつつ、同時進行で
相手に対峙し続けることが大事なのです。
自分の心が揺らぎ、緊急事態になっているとき、
直ちに対処しなければ、
暴走した自分の心のエネルギーに
飲み込まれてしまいます。
その状態で目の前によからぬ者が居たら、
それはもう絶好のターゲットです。
だから、
ダークサイドに対峙する状況の時は、
自分の心の迷い、恐れ、揺らぎには
とても注意を払いますね。
今ではそれほど緊張することも
なくなったし、ガイドんさんに聞きながら、
さらに突っ込むか、良い頃合いで引くかを
判断しているので、
悪魔さんたちとも程よく身の上話を聞いたり
色々な情報を教えてもらったりしながら
楽しくセッションをさせてもらってます。
こういうところは
誰に教えてもらったわけでもなく、
実践の中で身に着けてきた感覚ですが、
本当に真剣に、自分を誤魔化すことなく
剝き身の意識で対峙したからこそ
得たものです。
数年前の自分からしたら、
多少は限界ラインも広くはなった
かもしれないけれど、
極限の中で自分を見失うあの感覚は、
克服できるものなのかどうか。
そんなことを思いながら、
まだまだ探究は続きます。