ものごとには伏線というものがあって、
何かが起こるときに、それ単独で
ポンっと起こっているわけではなく、
その結果に至る前に、
それだけでは別に何ということもない
ことがいくつも影響し合って、
一つの結果に導いていく
ということがあります。
たとえば、
ある葉や親に子供が生まれたころ、
この子は後に大病をして
短命で終わるかもしれない
と占い師が予言したとします。
その母親は、とても注意深く
子育てをしますが、あるとき
子供が流行病にかかってしまいました。
高熱に苦しむ我が子を見つめる
その母親の脳裏には、その子が
幼いころに言われた嫌な予言が蘇り、
パニックになります。
そこへよからぬ者が通りかかり、
いかにも禍々しい存在に帰依すれば、
その子は助かるだろうと言います。
藁にもすがるような思いで、
母親はその取引をのんでしまいます。
そうして、その母親の魂は、
魔物に盗られてしまいました。
こんな風に、一つの出来事だけでは
とてもそんなバカげた判断に至るはずも
ないはずですが、
少しずつ不安や疑心暗鬼の種を
知らず知らずの内に心に蒔かれ、
それが芽吹くような出来事を仕掛けられると、
最後にすべての仕掛けの起動スイッチを
押すことで、簡単に私たちは、
そう思い込むように仕向けられた景色を見て、
自ら罠に飛び込んでいく。
そんなことがあります。
これは、悪いことばかりでなく、
ポジティブなことも同様ですが、
その導き方に、微妙な質感の違いが
あるように思います。
あくまで私個人の感覚なのですが、
高次の導きの場合は、
一つ一つの出来事は全く関係がなく、
途中で意味を成すような形になることは
ないのですが、
最後の最後に辿り着いたときに、
想像もしないようなところに導かれていて、
全てが調和している、みたいな感覚があります。
一方で、セッションなどでよく見かける
ダークサイドの仕掛けの場合は、
最初から最後まである方向に向けた
働きかけであることが読み取れ、
不信や嫉妬、不安や恐怖を煽り立てて
分断、孤立させ、自滅させるような
道筋に導いていきます。
そういうところは一貫したものを感じるので、
手口としては読みやすいですね。
耳元でよからぬ思いを囁き、
暗い想念でその人の心を時間をかけて
染め上げていくのをよく見かけるのですが、
そういう彼らに話を聞くと、最初は
たまたまターゲットを見つけたとか言うものの、
よくよく聞いてみると、そんなことは
ほぼなくて、
ものすごく早い段階で目をつけて
よからぬ種を心に蒔き、じっくりと
育てていくのです。
その執念深さ、周到さだけは
見習いたいものだと感心します。
そんな輩に目を付けられ、
有形無形の英才教育を受けていくと、
その人のオーラフィールドは
真っ黒な想念で満たされ、
もはやまともな判断はできなくなります。
こんな風に、
起こったネガティブな出来事は、
昨日今日たまたまの話ではないのです。
そう考えると、
日一日、私たち自身がいかに過ごすか、
というのはとても大切なことですね。
一つ一つの小さな出来事を
どんな風に受け止め、解釈し、応答していくか。
ネガティブな種を心に蒔かれても、
そこに栄養を与えなければ、
芽吹くことはないし、やがて
消えていくかもしれません。
あるいは、ポジティブな種をもっとたくさん
心に蒔けば、そちらの方が優勢になって、
ネガティブな種が育っていく余地も
なくなっていくかもしれません。
そしてまた、ネガティブと思えた種も、
ポジティブな種に変容させてしまうことも
できるかもしれません。
これが一番、最強ですね。
感情解放ワークは、まさにそういうことができる
ツールです。
ネガティブな感情に引きずられて
よからぬ種を育ててしまわぬよう、
ワークで善き種が育つ心を
整えていきましょう。