人間誰しも、
得意もあれば苦手もあるわけですが、
苦手だからと言って逃げまくっていると、
後でドーンとツケが巡ってくる、
ということもないわけではありません。
かと言って、苦手の克服に
ものすごくフォーカスして
そこにばかりエネルギーを注ぐのも、
折角の得意が疎かになって
もったいない気がします。
そういうところはバランスと言えば
バランスなのでしょうけれど、
日々人生から差し出されたものを
丁寧に受け取り、応答していくのが
一番なのかな、と思っています。
苦手を放置してツケが回ってくる
パターンには、差し出された課題を
受け取らずにスルーするとか
放り投げているという特徴が
あるように思います。
苦手でも、いったんは受け取ってみて、
自分なりに取り組んでみるというのは
大事だろうと思います。
そこで、すごく苦手と思っていたことが
案外面白かった!ということも
あるかもしれないし、
向いていないことは確かだけれど、
今後そういうものがやってきたら
どう対応するか、というのの目安が
自分の中でわかってきたということも
あるでしょう。
意識的に向き合い、選択し対処する
ということをしていけば、
いきなり大きなツケがド~ンと来る、
ということはないのではないかな、
と思います。
もしその時の選択が間違っているのなら、
あとで修正の促しがやってくるでしょう。
そうしたら、その時に本腰を入れて
また取り組んでみたら良いのです。
人生はときに、自分の弱いところを
思い切り打ちのめすような体験を
私たちにさせることがありますが、
その一事をもって、自分のすべてを
完全否定してしまうことは
ありません。
こういうところ、
頭でわかっていても、
自分はもうダメなんだ、
何もかも失った、と絶望感に
飲み込まれてしまう人もいますね。
けれど、
そういう方のお話を伺いながら
リーディングしていくと、
その絶望感のさらに奥深くに、
その方の素晴らしい唯一無二の資質が
豊かに輝いている領域を
見つけることがあります。
そのときは、在り方の選択を間違えて
大きなお知らせがやってきてしまった
かもしれませんが、
魂が知らせたかったのは、
妙に固執して自ら縛られに行っている
こだわりを手離して、もっとあなたらしく、
のびやかに持っている宝を表現して
生きなさいということだったりします。
苦手なところ、至らないところにばかり
目を向けていると、
心も体もしゅ~んと委縮して、
生気なく魅力を失っていきます。
けれど、自分自身にきちんと向き合って、
受け止めるべきことを受け止め、
人生と対話を重ねていれば、
ちゃんと自分の資質を理解していく
ことができるでしょう。
これは苦手だけれど、
こういうことは苦も無く
人並み以上にできるし
自分も楽しい。
そういうことを知って、
自分を恐がらせず、喜ばせるような
選択をしていくと、その生き方が
やがては周囲の人を幸せにしていきます。
自分の欠点をあげつらい、
責め立て、自尊心を挫くような
在り方は止めて、
良くなかったところ、
できないこと、失敗してしまったことを
素直に認め、受け止めたところから、
そういう自分を切り捨てないで、
また歩み続けることです。
短所も長所も、
それ自体が悪いわけではなくて、
そのどれもが自分なのですから、
それを切り捨てて隠し、
否定することで自分がバラバラになり、
不完全に歪んだ状態になってしまいます。
そしてその心の傷は、
無いことになっているが故に
癒せなくなってしまうのです。
こうして、古傷は何年、何十年と
分離された領域で固定、保存されて
しまいます。
これ故に、癒しは
どんなに不都合なことでも、
忘れ去りたい苦痛なことであっても、
その出来事を認め、深く受け止め、
自分の一部として再び迎え入れることから
再統合が起こるわけです。
苦手があってもいい。
不器用な自分でもいい。
ただし、誠実に向き合うこと。
ここまでやってもダメなら、
謙虚に助けを求めましょう。
自分の至らなさを赦すことが出来たら、
人にも寛容に、優しくなれます。
そういうあなたから、
温かさ、懐の深さといった魅力が
滲み出てくるんですよね。
それが人間として生きること
なんじゃないかな、と思いました。