小さなことでも、できることを
こつこつやり続けるって、
簡単なようで、思うほど
簡単でもないですよね。
ルーティンに組み込んでしまって、
ある期間続けられたら、
後は苦も無く習慣になる
ということもありますが、
大概はそのずっと手前で
いつの間にか自然消滅、
ということが多いと思います。
単発で、そこだけやるなら
そこそこのことでもできたり
するのですが、小さなことなのに
なぜか続けるのは容易ではない。
なぜなんだろうと
私なりに考えてみると、
小さなことだからこそ、
軽く見てしまう、ということが
あるんじゃないかな、と思いました。
こんな些細なこと、やってもやらなくても
そんなに大した違いはないだろうと
思ってしまう。
実際、それだけだと自分でも
それほど変化を感じるわけでも
ないですしね。
そういう油断が、一事が万事に通じて
あちこちで些細なことを軽んじる
気持ちが日常に行き渡って、
全体として見たときに、
些細なことを丁寧に積み重ねた
在り方よりも数段、どこか歪んでいたり
緩んでいたりしてぴたりと収まらない
気持ち悪さを生むのだろうと思います。
そういうことが人間の在り方の
目にも見えず、言葉にも言い表し難い
領域の違いとなり、
いざという時の
ものすごく大きな実力差を
見せつけるのではないでしょうか。
だから、修行をされるお坊さんなどは、
ルーズな在り方を、お師匠さんから
万に1つも間違いのないように、
徹底的に鍛え上げられますね。
手を抜き、易きに流れるような心では、
仏法を入れる器に値しないからです。
小さなことですら手を抜くような心で、
どうして大事を扱えるでしょう。
とかく人は見た目に派手で
わかりやすいことに心を奪われがちです。
けれども、大事なことは、
割と地味で小さなことの中に
凝縮されてあるように思います。
達人というのは、
そうした小さな違いを見て取る
感性を持った人のことでしょう、
同じことを繰り返していても、
日々の体調や季節の変化、
微妙に移ろっていく世界の中で、
完全に同じということは
あり得ません。
毎日繰り返しているからこそ
気づく違いを感じつつ、
調整しながら最終的に
「同じ」ように結果を出していく。
実はそれは、とてつもなく
すごいことなんだと思います。
そういうことを、
いかにもすごそうに見せなくても
さらっとやってのけてしまうので、
一見してすごそうに見えないのが
本当の達人です。
同じことを、
同じようにはやっていない。
漫然と、ただルーティンとして
こなしていたら、進歩も上達もないですが、
その行いを、どういう意識で向き合うのかで
意味がまるで違ってきますよね。
些細なことも丁寧に行うというのは、
ただ丁寧にするだけではなくて、
常に工夫と創造の意識で
それを行うということなのかも
しれない、と思いました。
そうするほどに、
そこに込められた意識の密度は
無限に高くなっていきます。
どこまで深め、広げて行っても
行き止まりや限度というものはありません。
なんだか、それもロマンですよね。
人によって、深め方、広がりに
様々な違いは生まれてきますが、
向き合うほどに、その軌跡は唯一無二の
文様が刻まれたタペストリーになります。
不器用さも人並み外れた特質も、
みなえも言われず味わい深い
自分オリジナルの表現です。
常に正解を探し、
マニュアルが大好きな人は、
オリジナルであることを恐れる傾向が
あるように思うのですが、
たとえマニュアルを完璧に
こなせたとしても、
そこに自分の命の発露がないのであれば、
人生は遅かれ早かれ、その人に
自分自身を生きることを求め、
導くのではないかな、と思います。
話は大分それましたが、
小さなことを軽んじることなく、
創意工夫をしながら
日々を楽しんでいきたいな、
と思いました。