誰かに腹を立てている時というのは、
結局のところ、自分自身に対して
腹を立てているのですよね。
鏡ですから、掘り下げていけば
当然、そういうことになります。
なんでわかってくれないのよ~!
と怒っているのなら、
自分が自分のことを全然
分かろうとしていないのだし、
そんな態度を取るなんてひどい!
私にも尊厳があるわ!と思うのなら、
自分が自身に対して尊厳のカケラも
認めないような態度を取っている
ということです。
こういうところにちゃんと気付いて、
じゃぁ、どうしたら自分をもっと
分かってあげられるだろう?とか、
ひどい態度を改めて、
尊厳ある存在として大事にして
あげられるだろう?と考えて
実践していけば、
それを映した鏡の現実は、
とても素敵で幸せなものになっていきます。
最初は、感覚的にうまく
理解できなかったりもするでしょうが、
あぁ、ホント!こういうことなのね!
とわかってしまえば、難しいことは
ありません。
人を責める必要もないし、
自分の手には負えない、
どうしようもない現実、ということも
少なくなっていきます。
鏡の像である現実をコントロール
しようとするのではなく、
正すべきは、自分自身の在り方
だからです。
とは言え、頭でわかっていても
ついつい八つ当たりしてしまう
時もあるし、被害者意識にどっぷりと
浸ってしまうこともあるでしょう。
それはそれで
仕方がないかもしれないけれど、
いつもの反応に流される在り方を
今、選んでいるのは紛れもなく
この自分であるということは
自覚しましょう。
どんな場面でも、
自分のためにできることが
少しでもあるのなら、
諦めずに僅かでもやるべきです。
たとえ完璧に、100%できなくても、
自分のためにそれが出来た自分と、
諦めて易きに流され、やらなかった自分
とでは全く違います。
自分を諦めた自分と、
自分を最後まで見捨てず、
最善を尽くした自分という違いですね。
自分を諦め、見捨てるほどに、
生きる気力は枯れ、無力感と絶望感に
飲み込まれていくのに、踏みとどまる
こともできなくなるでしょう。
逆に言えば、
無気力と諦めに苛まれる人には
そういう状況でももう一度自分のために
少しでもできることをやっていけば、
やがて自分の中に生きる力が戻ってきます。
自分は切り捨てられ、見捨てられて
良い存在ではないのだと、
自分自身で証明していることに
なるからです。
苦しい中でも、お世話される価値のある
存在なのだと、自分自身に伝えて
あげてくださいね。
無気力な人は、何だかんだ言い訳をして、
自分のために心を込めて何かすることを
やりたがりませんね。
そういう態度自体が、
自分をとても傷つけているというのに。
自分を見下し、軽んじ、切り捨て、
徹底して関心を持たないという
その冷たい態度で、
どうやって自分を幸せにするのでしょう。
どうやって、自分を理解し、
その才能を引き出そうというのでしょう。
そういう方を見ていると、
もっと自分に対して
本気であってほしいな、
と思います。
外野がどれだけ一生懸命になっても、
本当に自分を輝かせられるのは、
自分しかいない、ということが
どういうことなのか、
真剣に考えてみてください。
根本的に、自分に関心が無く、
今感じている苦しさがどうにかなれば
それで良いのだと思う人を、
私は癒すことはできません。
生き辛さを感じて、何とかしたい
と思う人は多いですが、
それが必ずしも自分を知ることに
繋がらない人も、少なからずあります。
何とかしたいと思っているのだから、
自分に無関心なはずはないと
思い込んでいるのですが、
では、自分を本当に愛する在り方に
関心があるでしょうか?
今の在り方が、どこか
自分を愛していないのだとしたら、
それを改めようと思うでしょうか?
そのことに、真剣に取り組めますか?
そういうことなんですね。
今、本当に苦しいな、辛いな、
と思っている方は、
そういう状況だからこそ、
絶対に自分を見捨てないからね、
と思えたところから、
始まっていくものがあります。
どうか、あなた自身を大切に
慈しんでください。