人は、大人になると大体
自分を開きたい、
能力を開きたい、
才能を開花させたい、
可能性を開きたい、
と思う人が多いですが、
一方で、子供の頃に、
目を閉ざし、
耳を閉ざし、
口を閉ざし、
感じることを閉ざしてきた人、
結構多いんじゃないかな、
と思います。
私自身、確かに子供の頃に
閉ざした記憶があるんですね。
もう嫌なことは見たくない、
聞きたくもない、
感じないように、
こんな世界で生きていたくない。
まさに、私は貝になりたい、
の心境でした。
だから、その思いの通りに
鈍~くなって、周囲から見ても、
愚鈍な子供だと思われていたし、
そのように扱われていました。
昔、あるセッションで、
この世界で生きて行くために
一生懸命自分を閉ざしてきたのに、
今さら開けだなんて、辛すぎるし
悔しすぎる。。。
そう言われた方がありました。
そりゃぁそうだよね。
自分を閉ざして生きて行くことは、
どれだけ辛かったか。
自分を切り刻み、壊し、歪めながら、
やっと閉ざしたんですよね。
その痛み、その悲しみがその言葉に
滲み出ていて、その無念をいかに癒したら
良いだろう、と思ったものでした。
でも、いつかは閉ざした自分を、
開くときが来るんですね。
かつては閉ざして生きるしか
選択肢はなかったのでしょうが、
人生は否応なく進んでおり、
もう昔の自分でもないし、
昔と同じ環境でもありません。
サバイバルを生き抜いたのなら、
今度は自分自身を生きなくては、
何のためにあの時代を耐え、
生き抜いたのでしょう。
今、自分を生きるのは、
あの時代の自分に報いるためでも
あるのではないでしょうか。
そう思って、
私自身の中に未だ閉ざしてある部分を、
開いて行こうと思いました。
開くというよりは、閉ざすのを止める
と言った方がしっくりくる感じ
ではあります。
かつての自分にとっては、
開いたままいるのは耐え難かったけれど、
今の自分なら、全然大丈夫!
と心から思えるし、
何かあったらその都度対応していけばいいや、
と自分の対処能力に信頼を持てているので、
これ以上閉ざしている理由はありません。
つい最近まで、自分が閉ざしていることすら
すっかり忘れていたし、これまで
それなりに開いてきたものもあったので、
もう開いているんじゃないかな?とも
思いましたが、
確認してみたら、やっぱりまだ
あのときのまま閉ざしている部分も
あったみたいです。
閉ざすのを止める、と決めて、
するっとエネルギーが変わったところもあるし、
かといって、劇的に何かがいきなり
わかるようになったわけでもないのですが、
一人、ゆっくり内観していると、
あまりに毎日が辛すぎて、
あるとき、ぷつっと心の中の何かが切れて、
諦めたときの無力感が蘇ってきました。
心の中は悲しみで一杯だったけれど、
ただ人形のように、僅かに反応するだけで
日々を生きていた時代がありました。
誰かに気付いてほしかったけれど、
誰も気づかなかったみたいだし、
助けてくれた人は、当時の私の認識では
いませんでした。
そのまま大人になったものだから、
それはそれは、色々ありました。
随分癒してきたけれど、
まだ癒し切れていなかったものの残りが
手足が痺れたり、ハートとみぞおちに
ズド~ンと重く響く感覚となって
体の奥から上がってきました。
私はこうやって自分を沈めたんだな、
とわかったのですが、今は
そのプロセスとは逆方向に浮上させて、
自分を取り戻していっているのも
わかりました。
解放のプロセスは、閉ざした時の
プロセスをそっくりそのまま、
逆にたどるわけです。
だから、キツイこともあるのですが、
今の自分なら大丈夫。
段階的に、悲しみや絶望感、叫びなどが
上がっては抜けていきましたが、
思えば随分深く沈めたものですね。
でも、そういうのも、こんな風に
いつかは抜けていくときが来るのです。
そのたびに、純粋な自分に返っていく。
戻ってきて、自分というのは
こんな存在だったんだ!と
知っていくんですね。
そう考えると、
自分を知るというのは、
いったん自分を失って、
再び取り戻した時に、
より深く知るのでしょう。
ワークをしていると、
思ってた自分よりもひどくて
がっかりすることもあるけれど、
想像以上に素晴らしすぎる自分に出会って
感動することもありますね。
これからも、まだ見ぬ自分に
たくさん出会って行こうと思います。