よく、スピリチュアルなヒーリングで
邪気を祓うとか、よからぬ存在を
光に上げるとか言いますね。
私もよくやりますが、
ヒーリングを習いたてのころと
今とだと、大分その概念ややり方も
変わってきました。
昔は、とにかく邪気とか
ネガティブな存在は触れたくない、
ばっちいもの、さっさと祓ってしまえば
よいもの、みたいに思っていたところが
あったと思います。
今はどうかというと、
よからぬ者と言っても色々な素性があって、
無念を抱いて亡くなって迷っている
元人間だった魂もあるし、
魔物だと本人が言っていても、
よくよく聞いてみると、元人間で
悪魔に騙されて堕とされた存在もいるし、
勝手に人の体に入って
生命エネルギーを搾取したり
何やらいかがわしい実験をしたりしている
宇宙人だの、
元は神様にお仕えするキツネだったのに、
修行が厳しくて逃げだしてきた
脱走はぐれギツネなんてこともあったり。
そんな身の上話を掘り下げて、
無念を浄化したり、道理を説いて叱責し、
神様の下に帰したり、
悪行の数々を働いた因縁を遡って浄化して
悪魔との契約を解いて人間の魂として
帰るべきところに帰したり、
というような手順を踏んで、
本来いるべきところではないところから、
その存在の本来の道に帰していく
ということをセッションではしています。
めんどくさくて時間が無い時は、
そこまで丁寧にはしなくて、
さっさと帰りや~って感じで
適当に浄化をして光に上げてしまう
時もありますが、
その時も、できる限りその存在の
本当に在るべき姿、もっとも純粋なレベル
を意識して浄化をかけています。
今思えば、ヒーリングの習い始めの頃は、
そういう存在たちが恐かったんでしょうね。
だからあまり触れたくなかったし、
厄介ごとに巻き込まれないように、
まともに関わろうとしなかったんだと思います。
今は結構ずけずけとその存在の
身の上話とかを突っ込んで聞いていて、
どうしてそこにいるの?
いつからいるの?
そこで何してるの?
どこから来たの?
とか、質問攻めにします。
そうやって、色々な存在から教えてもらった
ことも多いのですが、どんな風にしたら
その存在にとっても、憑かれている
こちら側にとっても最高最善なのか、
という道を探っているんですね。
入り込んでいる存在は、
宿主に気づかれることを一番嫌っていて、
気づかれるといままでのように
色々やりたい放題できなくなるので、
すごく居心地が悪くなるみたいです。
そこで、その存在をガン見しつつ、
出てってくれるかな~?と睨みを利かすと、
渋々出て行ってくれたりします。
ただし、色々置き土産とか、
出て行く振りをして後で戻ってくる
仕掛けを残しておくとか、
誠実でない存在もいるので、
結構綿密にチェックをかけて、
まだ残しているものがあるよね~?とか、
奪ったもの、返してないよね~?とか、
何かすり替えてない?とか、
注意深くしないと、ちゃんと切れない
ケースも割とよくあります。
そういう相手のずる賢さとか、
悪意に怯まず渡り合っていく
度胸みたいなものも、
必要かな、と思います。
決して侮ってはいけないけれど、
結構ドギツい怨念や呪いも、
これは絶対、今日解けるぞ!
と確信できるものもあるし、
これはあまり触らん方が良いな、
やってもここまで、と思う時もあり、
今の自分の実力と対峙しているものを
照らし合わせて、自分がどこまでできるのか
というのを見極める力も大事です。
空間や土地の浄化も、
サッと光をかけたくらいで浄化できるものと、
深く刻み込まれた重く暗い思念エネルギーを
浄化するのとでは全く意味が違います。
結局、浄化や祓いというのは、
自分の中に湧き上がる恐れにどこまで対峙し
統合できているか、
呪いや恨みなどドギツい感情の奥にある
痛みにどれだけ触れて寄り添い、
昇華できているか、というところが
大きく影響するような気がします。
深い闇の中に光を見るような眼差しが、
邪気を無きものにするのではなく、
それをそのまま光に反転させる
のだろうと思います。