人間の心というのは弱いもの。
困難と楽があれば、
楽に流れるのが常です。
とは言え、楽を選ぶのが悪いのか
と言えばそうではなく、
それも生存本能だったり、
ハートの導きだったりします。
けれど、注意したいのは、
楽を選ぶ心の中に、
本当は向き合わねばならないものからの
逃避の可能性があるということも
心に留めておかなければなりません。
近頃は、ワクワクの感覚に従うと
人生がうまく行く!ということが
言われていて、それも確かに
真実なのです。
ただし、
それが本当にハートの感覚なのか、
頭の欲で興奮しているだけなのかは
良く見極める必要があります。
ハートのワクワクは、
純粋に楽しいし、心が温かくなるし、
明るい感じがあります。
一方で、
頭の欲に興奮しているときや、
向き合わねばならぬものからの
逃避のときは、
心の奥の方がどこか重苦しく、
刹那的で、自然な明るさがありません。
それどころか、
どこか緊張して、心が固くなっているとか
ザワザワする感覚があります。
こういう感覚は警告なのですが、
欲の声が大きいと、容易に握りつぶして
心の耳を塞いでしまうのです。
こうして人生は、怠惰に堕落したり、
危うい魔の手にかかっていくような
流れに陥ってしまいます。
この辺の見極めは、日頃から
自分の心をよくよく注意深く観察して、
欲の声よりもハートの声を最優先にする
と決めていないと難しいです。
この辺は、
自分でトライ&エラーを繰り返して、
体に叩き込むくらいにしないと、
インプットされないですね。
あ~、この感覚があるときは、
頭でいくら納得していても、
絶対うまく行かないんだよな~
という、実体験を経ることが
結構大事です。
ハートの声は、決してワクワクだけではなく、
ネガティブな感覚のときもあります。
本当は向き合わねばらぬものから
背を向けたとき、一瞬はホッとするし、
緩む感覚はあるかもしれませんが、
その奥で、落ち着かないとか、
どこか浮ついて地に足がつかない感覚、
何か大事なものから切り離された感覚
などがあったりします。
実際、エネルギー的にこういう
状態の人をリーディングすると、
ハートと繋がっておらず、
本来の自身のエネルギーから
切り離されている様子が見えたりします。
自分自身の基盤を見失っているので、
方向感覚や様々な判断が狂うのですね。
なかなかに危うい状態と言えますが、
こういうとき、人生は様々なサインを
送ってきています。
姿を変え、手段を変えて
軌道修正を促すようなメッセージが
繰り返しやってきていることでしょう。
そういうサインをちゃんと受け取って、
軌道修正できれば大事には至らないのですが、
聞く耳を持たずに突っ走っていくと、
やはり何かしらのトラブルに
巻き込まれたりすることがあります。
だから、いきなり大きな事件は
やってこないのです。そういう点では
人生は親切だと言えますよね。
ハートのワクワクではなく、
易きに流れる怠惰な状態を続けていると、
精神的なエネルギーが枯渇して気力を失い、
虚無感に苛まれるようになります。
ワクワクに従った行動も、
ときには勇気が必要だったりするので、
それを抑圧して今のままで我慢我慢
とやっているのも、ある意味
易きに流れる怠慢なわけです。
向き合うこと自体がとても苦しいけれど、
今向き合って、行動しなければいけない
こともありますよね。
そういうときも、
ハートはワクワクではないけれど、
どうしても避けては通れぬことなのだ
という、深い確信を感じていたりします。
こういう時は、肚を決めて行動すると、
後で本当に深い恩寵を得ます。
行動している時は苦しくとも、
不思議と絶対大丈夫!という感覚や、
守られていることがわかるんですね。
無気力や虚無感に苛まれているときは、
何か自分が逃避していることはないかな、
と振り返ってみると、
気づくことがあるかもしれません。