ハートで感じるって、
人生を生きる上で、欠かすことのできない
大切な要素だと思うのですが、
私の子供時分を振り返ってみても、
ハートで感じてごらんって言われるより、
よく考えてみなさいと言われることの方が
多かったような気がします。
今の時代はどうなのかよくわかりませんが、
私たち日本人の文化の中で、
ハートで感じる習慣を持ち合わせて
いなかったか、というと、
そうではないと思います。
自分の胸に聞いてみろ、
というセリフをあなたもドラマや何かで
聞いたことが無いでしょうか。
自分に胸に聞けば、
何が本当のことなのか
わかるだろうというような趣旨で
使われることが多いですが、
これがつまりは、ハートで感じる
ということだと思うのです。
そしてまた、日本人の精神性の中で
特に重要視されたのが誠の心で、
何が誠なのかを知るのは、
自分の胸です。
私たちの先祖は、
何が誠か、自分の胸に問いながら
生きていたのです。
そういう精神的土壌の中に
日本文化というものがあるということを
知っておくのは、大事なことだと思います。
ハートに聞く、というのは、
昨日今日、突然始まったことではなく、
私たち日本人にとっては、実は
DNAに刻み込まれているくらいに
馴染み深く自然なことなのです。
このブログでも、しばしば
ハートの声を聞くとか、
ハートの導きに従うとか言うことを
お伝えしているのですが、
それが難しいという方がおられます。
いくら心を澄ませてみても、
ハートの声が聞こえない、
どうやったら聞けるのか、
と難しく考えてしまって
ドツボにはまってしまうのでしょうが、
ハートの声を聞くのは
まごころを感じるのと同じで、
心臓に意識を向けるわけではないのです。
人の心の温かさや冷たさは、
どこで感じていますか?
手で触れてみて、あぁ温かい、冷たい
と言っているでしょうか?
教えらえるまでもなく、
みな自然に知っているのでは
ないでしょうか。
人の心の温かさがわかるなら、
ハートの声を聞く能力は生きています。
ただ、自分を信じることを恐がって、
心の耳を塞いでしまっている
のかもしれませんね。
失敗することを恐がり過ぎると、
ハートの声を封印してしまって、
頭で考えるようになります。
ハートは直感的に真実、
最善の道を教えてくれますが、
頭で難しく考えすぎると、
本質を見失っていきますし、
ときに、様々な都合に忖度して
判断を歪めてしまうことも
しばしばあります。
ハートの声はとても繊細なので、
思考の言葉によって、容易にかき消され、
上書きされてしまいます。
たとえば、欲望に飲み込まれていると、
欲望とは反対を指し示すハートの真実の声は
ねじ伏せられ、都合良く歪められて
思考で作り上げたもっともな理屈で
自分を納得させてしまうのです。
こうやっていつの間にやら
ハートの真実の声は、欲望の声に
すり替えられてしまうことも多いです。
そして、すり替わったことに無自覚で、
後で失敗すると、ハートの声を聞いていたのに
失敗した!と信じて、ハートの声なんて
信用できない!となってしまうケースも
すごく多いですね。
ハートの声に従って生きることを
選ぶなら、ハートの声がわからない
というよりも先に、
欲望の声よりもさらに深いところに
心を澄ませ、ハートの真実にのみ
忠実で在ることを自分で決めることです。
その思い、意志が、
ハートの声を聞ける自分に
導くでしょう。
考えることが悪いわけではありませんが、
よく考えろ、という前に、
よく自分の胸に聞いてみるのが先ですね。