いや~、寒いですね~。
色々用事はあるものの、
こう寒いとどうも体が動きません。
まぁ、急ぎじゃないし、
ボチボチでいいか。と
自分に甘々にして労わっています。笑
年を重ねると、こういうところ、
嫌でも上手になっていきますね。
人生、ガチガチにやっても
そううまくいくものじゃないし、
細く長く走り続けるコツ、みたいなものが
どうしても必要になってきます。
人生それぞれの季節に、
それぞれの過ごし方がある、
ということを最近つくづく思います。
若い頃は、心も体もボロボロになるまで
働いて、ついには強制終了して
回復までに随分長くかかった
こともあるけれど、
振り返ってみれば、
自分のペースだとか休憩のタイミングとか、
本当にわからずに突っ走ってきたのだと
思います。
休むのは怠けること、いけないこと
だという思いがどこかにあって、
ちゃんと休むということを
知らないままにアクセルばかりを
踏んできたような気がします。
私は子供の頃から、人並外れて
容量の悪い方だったので、
何をやっても劣等生でした。
だから、自分のペースを尊重される様な
過ごし方をした記憶もあまりなく、
ダメな人間、怠け者だから、
自分のペースで過ごすなんて言うのは
本当はいけないことなんだと、
いつも罪悪感を感じていました。
そういうベースの上で
社会人生活をスタートさせて、
大卒で入社した会社では営業を
やっていたので、
今思えば、成績は良かったけれど、
相当に根詰めて仕事してたな、
と思います。
その後、少しブランクがあって
新聞社に入ってからもその傾向は
バリバリ健在で、
本当はもっと手を抜くこともできたのに、
どうしてもそういうことが出来ない性分が
自分を破滅に向かわせたように思います。
いい加減学びなさいよと、
心と体が、突っ走る頭に
反乱を起こしたのでした。
こうまでしないと、
気づけないし、方向転換できない
というのが私なんですよね。
まったく、不器用なことこの上無い。(^^;
そんな経験を通して一番変わったのは、
人生の優先順位です。
仕事も楽しかったけれど、
それだけが人生じゃないし、
まして、それが人生の最重要課題
でもありません。
仕事をすること、そのものが大事
なのではなくて、
それを通して自分の中に起こることを
体験しに来ているだけなんですね。
仕事に命を懸けていると、
それだけしか見えなくなってしまいますが、
体を壊すまで仕事をするなんて言うのは、
ものすごく狭い視野になってしまって
居るのだろうと思います。
そういう時ほど、
本当はそれから離れて、
人生を大きな視点から見る
必要があるのでしょうけれどね。
ガチガチに固まっていると、
なかなかそれができないんですね。
そうなったら、
もうなるようになるしかない。
行くところまで行かないと、
どうにもなりませんね。
もしあなたが今、
そういう状態にあって、
これを読んで、少し冷静に考えられる
余地があるなら、
人生のスピードを緩めて、
自分のハートの声を聞く時間を
持ってくれたら嬉しいです。
また、ご家族がそういう状態にあって、
誰の言葉も受け入れる余地がない場合は、
何かがあった時に戻ってくる場所を伝えて、
温かく迎えてあげてほしいと思います。
これは、批判やジャッジメントなく、
在るがままを受け止めてあげる
温かな心だったり、
物理的なスペースだったりです。
私自身、天職だと思って
打ち込んでいた仕事が強制終了したとき、
母は何も言わず、身動き取れない私を
ただ黙って見守ってくれていました。
日常生活どころか、息をすることも、
歩くことも食べることも
ままならなかった数か月、
とても心配しただろうと思いますが、
そういう母の接し方が、
とても有難かったです。
そういう状態になってしまった人は、
回復までに1,2週間、ってわけには
いかないんですね。
数か月、何年もかかったりします。
本人も、家族も、先のことが見えなくて
不安になるでしょうけれど、
その間、この一日一日を大事にして
過ごす中で、断ち切れてしまっていた
人生と自分との繋ぎ直しをしているのです。
その作業がある段階まで回復すると、
人生はちゃんと次の道を示します。
身近でそのプロセスを見守る人にとっても、
それは自身の人生の在り方を
見直す機会になるでしょう。
必要としている方に、届いたら幸いです。