先日、友人たちと山の方にドライブに
連れて行っていただいたのですが、
とても寒かったけれど、
クリアな水と空気が心地良く、
リフレッシュして帰ってきました。
ほんの一日、東京から離れただけでも
その土地のエネルギーに触れると、
生き返るというか、気づくことが
たくさんありました。
人の少ない山の方は、
やはりシンプルに自然の岩や土、水の
エネルギーを感じます。
大勢の人間のザワザワした集合意識の
影響を離れられるので、
自分本来のエネルギーを思い出すのに
とても良いです。
自分に合ったエネルギーの土地なら
なおさらで、日常生活の中で
ノイズに混乱した諸々が
洗い流された感じがします。
そういう土地に行くからこそ、
自分がそこまで都会のエネルギーに
混乱させられていたのだと
気づいたわけですが、
これはすごく大事なことだと思いました。
山から都心に返ってくるとき、
都心に近づくにつれ、
あの重苦しいもやっとした
エネルギーフィールドの雲の中に
突っ込んでいくような感じがして、
いつもこのエネルギーの中で
暮らしてるんだな、と実感しました。
空気も水も、ですが、
ここまで東京のエネルギーが
混乱しているのだと思うと、
ちょっと空恐ろしい感じがしますね。
色々な要因があると思いますが、
ここでは書きません。
これまで、私の人生において
意味のあったものが、
急速にその意味を失って
変質して行っている
今日この頃、
自分自身の捉え直し作業を
早く進めなければな、
と思っています。
何となく取っておいて
もう何年も読まない本や
着ない服、使わないもの、
微妙に使い勝手の悪い
様々な身の回りの物、
当たらず触らずの人間関係、
義理で出し続けていた年賀状、
かつて天職だと思っていた
仕事の記録や道具類。
まだまだ、断捨離
できるところがありますね。
自分のエネルギーに合わなくなったものを
残しておくと、自分の輪郭がぼやけて
応答すべきものが捉えづらくなるので、
そういう意味で、
これは自分の足を引っ張るものか、
自分を豊かにし、生かすものか、
改めて、問い直しています。
時間をかければできる、
と思っても、気が乗らなくて
何か月も放置している作業も、
もう見切りをつけて整理しようかな
と思います。
作業としては単純だとしても、
それは自分にはもうできないこと
なのだと認めます。
そういう意味で、
まだ自分にはできる、
と思っていることが
他にも色々ありそうです。
何にエネルギーを注ぐのか、
もっと厳密に選択と集中をしないと
いけませんね。
これを手離してしまったら、
もう二度と手に入らない恐れとか、
損をしてしまう恐れなどから
手離せないでいるものは、
逆に、そういうものを抱え込むことで、
恐れを自分に固定しているところも
あるのかな、と思いました。
自分が大きく変化していくとき、
それまで自分を豊かに彩ってくれていた
ものたちがすっかり去っていく、
ということがありますね。
でもそれは、
去っていかねばならないものなのです。
しがみつき、留めおいてはいけないのだと
自分の心にけじめをつけて、
失うことや孤独になることなどへの
恐れに向き合わなければなりません。
何もないのだとしたら、
何もない自分を認め、
空っぽになるだけです。
古いものを残したまま、
新しい自分を始めることは
できません。
どれだけ捨てても、
残るものは残るでしょう。
そういうものこそが、
自分のより純粋な要素を
表すものです。
新しい自分で生きると決めたのなら、
肚を括って、その自分を体現するような
考え方、行動をすることです。
そうしている内に、
新しい流れの中にいる自分に
気づくでしょう。
未知なる未来が恐いから、
だから何だというのでしょう。
恐いから、未練があるから、
どうするのですか?
それは自分で決めることです。
要は、決めていないから、
言い訳をするのですよね。
その部分は、誰かがサポートは
してくれたとしても、
替わりにやってもらえるところ
ではないので、
主体性を持って、
自立しましょうね。