ものごとに臨んで、
自分がどのような在り方をしているか。
最近は努めて、そのことを注意深く
意識するようになっています。
基本、私は普段はダラ~っと
グダグタ過ごしたい質で、
何もなければ、延々そういう風に
過ごしているでしょう。
ただ、セッションでクライアントさんに
向き合っている間は、
常に真剣勝負で臨んでいます。
で、終わったらまたグデ~っとしている。
ダラダラグデグデしている時間を
もっと生産的な何かに注げば、
時間を有効につかって、効率よく
成長できるのかもしれませんが、
人生から無駄を排除したらすごく
味気ないものになりそうだし、
やりたくもないので、
私はダラダラを満喫しようと思います。
ただそういう中で、
私は自分の人生において、
何をもってしてその充実度を測るだろうか
と考えてみました。
つまりそれは、
自分がこの人生を終えるときに、
充実し、満足できるような何事かを
魂に刻むとしたら、それは何だろうか?
ということなのですが、
私の場合は、
ものごとに臨んでどれだけ深く、
クリアに、そして濃密に向き合い、
そこで起こるすべてを味わったか、
という時間のボリュームかな、
と思いました。
こういう充実感の基準というのは、
人によって違うと思うので、
これはあくまで私の場合ですが、
そうした状態のときにスパークする
変容のエネルギーの感覚が
好きなんだろうと思います。
ものごとに本当に深く向き合うと、
そこに今の自分の在り様が
否が応でも映ります。
自分の中に逃げがあれば
曇り、歪み、鈍るし、
覚悟が深まれば深まるほど、
クリアに透き通り、揺るぎなく、
存在の響きはどこまでも
す~っと通っていきます。
そういう状態で相手に向き合うと、
相手の心の揺らぎは手に取るように
わかります。
その人が、逃げていれば逃げている
その在り様が私の心に映るし、
隠していればその姿が、恐れ、怯え、
及び腰になっていればそれも映ります。
私のリーディングは、その人の
エネルギーフィールドに刻まれたものを
読みに行く部分もあるし、
このように、私の心に映る
その人の姿を読み取っている
部分もあります。
特に、その人が自身のテーマに
どのような姿勢で臨んでいるか、というのは
セッションでも非常に大切なポイントで、
たとえば、これより先に進めば
その人にとっては相当にキツイものが
出てこようとしているようなタイミングで、
その人が肚を決めているのか、
まだ言い訳をしてどこか明後日の方を
見ているとか、恐れに飲み込まれ、
圧倒されて及び腰になっているのか、
というのはその後の展開を左右します。
誘導している私自身は、
その方の内からどのようなものが出ようと、
自分の覚悟さえ定まっていれば
難しいということはないのですが、
その人自身が逃げていて、
逃げている自分を認めないとか、
認識できないくらいに自分を混乱させ、
感覚を閉ざしているようなときは、
難しさを感じます。
逃げていることを認識し、認められれば
そこから展開できる道もあるので、
全然違うのですけれどね。
私は基本、その方がこれから浮上してくる
ものに対して準備ができていないと
見て取れば、
あなたは今こう言う状態で、
その姿勢では、それを受け止め統合していく
プロセスをやり抜いていくことは
できないだろう、ということを
はっきりお伝えします。
その上で、
その方が気づいて覚悟を定めれば、
その瞬間からその方のエネルギーが
クリアに透き通り、輝き出し、
響きが通っていくのがわかります。
半分くらい覚悟を定められれば、
それなりに変化していくものもあるし、
今日は無理、定め切れないとなれば、
今の自分の在り様を噛みしめて、
お持ち帰りの宿題になります。
そんなときは、それも私の鏡と、
私自身の中で、まだ逃げている要素を
注意深く振り返ります。
自分では、逃げてなんかいない、
と思っているところに、
まるで見えていない死角があるものです。
逃げているなら逃げているなりの
独特のバイブレーションがあるので、
そういうものに気づける嗅覚も
さらに研ぎ澄ませて行かねばなりません。
そういうことの積み重ねが、
つくづく楽しいな~と思う
今日この頃であります。
これ、かなりマニアックな楽しみ
かもしれませんね。笑