私たちは、日々過ごす日常の中で、
受け止め難い出来事に遭遇したとき、
あまりにも辛く苦しい気持ちを
やり過ごすため、しばしば
自分の気持ちに嘘をつくことがあります。
本当は、ショックで悲しくて
打ちのめされているのに、
何でもないふりをしてみたり、
その出来事自体を無かったことにしたり、
その出来事を体験したのは自分ではないと、
他人事のように振舞ったりします。
それもこれも、
傷ついた自分の心が壊れないように
するためです。
けれども、どれだけ自分の気持ちを
誤魔化しても、傷ついているという
事実自体は消えることはなく、
無かったことにはなりません。
自分が認めて、手当てしてあげるまでは、
ず~っと傷ついたままなんですね。
肉体でも、そんなに深く傷ついたら
うまく動けないし、そこをかばって
全体が歪んでいくでしょう。
心も同じです。
その痛みをかばうため、
うまく機能できなくなって、
歪み、固まり、
また痛み自体を感じないようにするため、
感覚を麻痺させて、それだけ深く
傷ついていても、何とかやり過ごせるように
自分をカスタマイズするんですね。
すると、その在り様がデフォルトになり、
「普通」の状態になるわけです。
でもそんなものは決して「普通」ではなく、
本来在るべき姿ではありません。
どこかで、その在り様を戻してあげる
タイミングを心も体も魂も、
求めているんですね。
そういうタイミングに、
このブログやサロンにたどり着かれる方が
とても多いです。
あまりにも厚く鎧を重ねてしまって、
どうやってそれを脱いだらいいのかわからずに
途方に暮れていたりするのかもしれませんね。
そうした鎧は、自分を守ってくれているもの
でもあるので、それを脱ごうとしたら、
脱いでも安全な自分で在る状態を
整えながらでないと、恐くてまた
鎧をつけ直してしまいます。
傷つけられるイメージの原型が
潜在意識の中に生々しく残っているので、
実際、そういう現実を
引き寄せてもしまうでしょう。
なぜ傷つけられたのか。
傷つけた相手と同じ恐れや痛みを
持っていたからです。
それらをちゃんと癒して
統合してあげることで、
傷つける人や傷つけられる体験を
引き寄せてしまう種が消えます。
この種が無い状態にまですることが、
統合です。
痛みに深く向き合い、
受け止めて行くプロセスは、
とても勇気が要るし、
実際、心も体も痛いのです。
けれど、人はここを通過することで、
痛みを昇華させながら
自分という存在を変容させていきます。
これは、魂の錬金術です。
ここを通過するから、
自分の中にある、自身を癒していく力や、
より純粋な愛を本当に知っていくのです。
こういうプロセスは、頭ではできません。
それは、マインドの思考の領域で
起こることではないからです。
自身の中の癒しの力や愛を知った人は、
他の人の中にも同じものが確かにあることを
理屈を越えて、見て取ります。
だから、そのプロセスを歩むことを
励まし、導くことが出来るし、
その人が再び立ち上がることを
信頼できるのです。
自分を欺き、偽りながら生きることは、
何と辛いことでしょう。
既に痛みを感じなくなって久しいとしても、
深いところではその叫びや嘆き、
体の芯が凍るような孤独や悲しみは
生き続け、血を流し続けます。
自分の本当の力を知らない内は、
それに対処する術がないので、
そうした叫びや嘆きに蓋をして
生きるしかないでしょう。
そういう絶望感や無力感が、
あなたの心の奥にもあるかもしれません。
けれど、もしそれが癒していける
ものなのだとしたら、どうでしょう。
どこに自分を偽り続ける必要がありますか?
まぁ、被害者で居続けることに
メリットがある人は別かもしれませんが、
ほとんどの人は、そんな状態で居たいなんて
心から思っていないと思います。
心の奥深くに居る傷ついた自分を
お迎えに行って、救えるのは自分だけです。
長いこと、自分を見捨ててきた月日は
もうそろそろ終わりにしても良いのでは
ないでしょうか。
準備ができた人は、
ぜひセッションや瞑想会でお会いしましょうね。