何気ない日常の中で、
母を観察していてふと、
感じたことがあったので、
それについて書いてみます。
私は現在母と二人暮らしで、
母も70を越えて、以前よりも
体の動きが格段に落ちてきたな、
と感じることが多くなってきました。
以前だったら何でもなくこなしていた
動きも、なかなかうまく出来なかったり、
歩くのもすごく遅くなったり、
ちょっとしたところで転んだり、
という場面を見るにつけ、
母も年を取ったのだな、と
しみじみ思います。
まぁ、その分、自分も一緒に
年を取っているのですから、
お互い様ですけれど。笑
幸い、まだ転んでも受け身がうまいのか、
大事には至らず、ちょっとした打撲程度で
済んでいるのは幸いですが、
この年齢での転倒は命取りにもなるので、
気を付けてみてあげなければいけないな、
と思います。
人間は生まれて、赤ちゃんの時は
日毎にできることが増え、
成長の喜びを嚙みしめるものですが、
段々年を取って下り坂に入ってくると、
反対にできないことが増え、
自身の心身への認識のアップデートが
追い付かないことがあるのですね。
以前はこのくらいできたのに、
今の自分がどこまでできるのか、
日々確認しながら動いているような
様子の母を見るにつけ、
人生の終盤をうまく
ソフトランディングさせていく技術
というのも大事なのかもしれないな、
と思ったりもします。
人によって、老いの速度は
本当に個人差が大きいですが、
自分自身の心と体に向き合いながら、
日々変化していくものに気づき、
応答していく作業というのは、
生涯続くのだと改めて思います。
かつては、強く、頑固で、ものすごく恐かった
母ですが、それほどまでに弱っている姿を見て
最初はすごくショックを受けました。
ずっと一緒に暮らしていても、
そこまで体が動かなくなっている
ということに気づかなかったんですね。
ましてや、離れて暮らしている
弟たちだったら、もっとショックを受ける
だろうな、と思います。
けれども、そういう変化も受けとめながら
母に向き合っていると、体が弱るのと同時に、
精神的にもかつての強さがなくなって、
元々持っていた無邪気さや天然ぽいところが
出てきてこれはこれで面白いな、と
思っています。
何十年も母を見てきて、
こんなに無邪気なところのある人だったとは
今の今まで気づきませんでしたが、
それだけ気を張って生きてきて、
今少しは人生の重荷を降ろせるように
なってきたのかもしれません。
人間は、出会った人やもの、
置かれた環境や与えられた役割などに
適応しながら、自分自身の姿形、内面を
変化させていきます。
社会人になったり、部下を持ったりして
ぐっとそれらしくなりますし、
結婚したり、親になればさらにまた
人間的な厚みがぐっと増したりしますよね。
年を重ね、人生の様々な変化をくぐる度、
役が変わり、立場が変わり、
内面の形もその都度替わっていきます。
以前、あるクライアントさんがお話
くださったのですが、
その方のお母様が、
「お父さんは、結婚してから
すごく厳しい人になった。
結婚する前は、とても優しい人だった」
とおっしゃったそうです。
その言葉を聞いて、その方は
厳しいお父様しか知らなかったので、
とても意外だったそうですが、
家族を守っていくという責任感からの
厳しさだったのだと知って、
長年のわだかまりが解けて行った
というようなことを教えてくださいました。
家族を守っていくということの厳しさ、
責任の重さがどれほどだったか、
とても心を打つお話でした。
人生の前半は、
様々なものが重ねられて生きますが、
人生の後半は、
後から重ねられたものがひとつひとつ、
脱ぎ去られていくタームなのかもしれません。
そうして人は、
生まれてきたときのように、
無垢な魂としてやって来たところに
帰っていくのかもしれませんね。
この世で得た、
たくさんの経験のお土産とともに。
軽やかに人生の最期を迎えるために、
よく生き、よく笑って愛いっぱいに
日々を過ごしていきたいものです。
人生の先を行く母を見ながら、
老いというものを学んでいる
今日この頃です。