人生、長らく型枠の中にはまって
それに適応して生きていると、
いざその型枠を外されたとしても、
その途端に本来の形に戻る
なんてことはなく、
型枠の形をしながら右往左往して
元々自分って、どんな形だっけ?
と惑ってしまうものだなぁと
つくづく思います。
それまで、窮屈な型枠に散々文句
言っていたはずなのに、
実はそれによって支えられていた部分も
結構あったわけです。
型枠というのは、この現実社会の
様々な決まり、ルール、世間体など
あらゆるレベルで私たちを縛って
いるものですが、
型枠というのはものすごく固くて
頑丈で、ちょっとやそっとじゃ
決して壊れるはずのなかったもの
なのですが、
この新しい時代の変化の中で、
いつの間にやらそれらは
ひどく心許なく溶けて崩れ、
かつての絶対的な存在感は
もうなくなってきています。
それどころか、
その型枠の存在基盤であった
現実そのものが、ふにゃふにゃに
溶け始めているような気がして
ならない今日この頃です。
これはあくまで個人的感覚ですが、
きっと同意してくださる方も、
結構いらっしゃるのではないかと
思っています。
(いなかったら、単に私の頭が
おかしいだけですね。笑)
そんな世界の中で、
さて、どんな人生を送れるだろうか
と考えたときに、
そもそも人生の意味合いそのものが
これまで感じ、考えていたようなもの
ではなくなってしまっている
ことに気づきました。
そこで新たな人生の概念を
見つけなければならなくなってしまった
のですが、
それも新たな別の型枠を探そうとしている
だけなのか、もうそういう概念自体が
必要ないのかもしれない、などと
思ったりもしました。
概念はどこまで行ってもマインドのもの
だから、人生をマインドに閉じ込めて
おかなくても良いのかもしれません。
これまで、どんなに頑張っても
できなかった、今この瞬間にいることが、
別の形でまた目の前に提示されてきている
ようでもあります。
目覚めたマスターである
レナード・ジェイコブソンは、人生は
今この瞬間しかないのだと言いますが、
これまでの在り方では、
それはどうしても概念でしか
ありませんでした。
でも、実際にそれまで信じてきた
世界や現実の枠組みがここまで
崩れてきてしまうと、
強制的に過去も未来も崩壊させられ、
残るは今に居るしかない
となります。
何とも、
不思議な世の中になったものだ
と思います。
型枠の外れた不安定さの中で、
戸惑いつつも新しい世界の歩み方を
模索していますが、
そこでは、
かつて生きていた世界の
こうなったらこう、という当たり前だった
道理とは別の道理があって、
長く体に染み込んだ条件反射的な
心身の受け応えをはるかに越えた
予想外の展開があったりするので
頭も心も柔らかくしている
方が良いようです。
現実は、私たちが固く信じているほど
確かなものではなく、ひどく曖昧で柔軟、
変化するものなのだと、
最近はつくづく思います。
だから、明日の心配も意味がありません。
次の瞬間、何が起こるか
本当のところ、誰もわからないのですから。
けれども、悲観的な妄想にどっぷり
飲み込まれていると、何十年も先のことを
ものすごく確信を持って、
この先大変になるんだ!
自分はお金も家も失って路頭に迷って
野垂れ死ぬんだ!と、
アリアリと思い浮かべてパニックになる人が
いますが、その素晴らしい想像力を
別の方向に生かせたら良いですね。
心配のあまりパニックになって
今この瞬間の目の前のことが
手につかないのなら、
心配するのをやめて、
目の前のことだけに集中していたら、
やるべき具体的なことに気づけるし、
ひたすらそれを行動していれば
次にやって来る波にちゃんと乗る
準備ができてしまいます。
動けなくなっていたら、
そんな波にも乗ることができません。
人生を殊更に難しくしないで、
リラックスして今を生きていれば、
新しい時代の波にも自然に乗って
行けるでしょう。
自分の中にスペースを持つことが、
新しい波に乗るコツかもしれません。