9月10日(土)17時から
毎月恒例の満月のオンライン瞑想会を行います。
今年の中秋の名月は満月と同じ日ですが、
これらは必ずしも一致しないのだとか。
2021年~2023年は満月と中秋の名月は
同じ日ですが、次に一致するのは
2030年までないそうです。
そんな名月に、みなさんとともに
意識を向けて、自分自身の浄化と癒し、
エネルギーチャージを行って行きましょう。
先月、先々月と好評だったご先祖様の
ヒーリング、今回もお集まりくださった
みなさんの様子を見ながら、
入れていくことにします。
気になる方はぜひご参加くださいね。
さて、前置きが長くなりました。
今日は学ぶということについて
思うところを書いてみたいと思います。
子供の頃、私たちは主に学校で
与えられた課題を履修し、大抵は
既に決まっている解答を答えられれば
正解というような学び方を
してきていると思います。
もちろん、そうではない部分もありますが、
どちらかというと、自分の興味や考えを伸ばす
というよりは、決められた範囲の中で、
決められた答えを返せるような大人に
なるような教育であるように
私は感じています。
私自身もそういう教育を受けてきて、
大人になって自分の周囲を
見回してみると、
正解は何ですか?
これで合ってますか?
どうしたらいいですか?
等と聞いてくる、
自分で思考錯誤する過程を
すっ飛ばして、正解だけ知りたい
という考えの人がすごく多いな、
と感じます。
また、日本では大人が何かの学びに
アクセスするのは割と簡単で、
種類も実に豊富で充実しています。
趣味、実用問わず、探せば
ありとあらゆる講座やコースが
わんさか出てきます。
一方で、そういうパッケージ化された
コースに馴染んでいるせいか、
決められた課題、履修工程があって、
それを1から順番に学んで行けば
お免状が取れるという感覚が
人々の間に馴染んでいる印象です。
個人的に、それ自体は否定しないけれど、
そういう学びに対しては私は
結構冷めた目で見ていて、要は
コースを作った側のビジネスだよね
って思って見ています。
もちろん、資格や免許がなければ
できないお仕事もあるし、
最低限身につけておかなければいけないこと
もあるわけなので、それはそれで
必要なものだと思います。
ただ、ここで言いたいのはそういう
部分ではなくて、本当に自分を
人間として豊かにする学びって、
どんなものだろう?って思うのです。
そういう学びは、
パッケージ化できるものなのか?
お免状が必要なものなのか?
課題に対する回答集を作れるものなのか?
多分、これらの問いに対して、
本当に自分を豊かにする学びは、
無縁ではないかと思います。
学びとは、与えらえた課題をクリア
していくだけではなくて、
まず自分が何を学ぶ必要があるのか、
あるいは何をしたいのかを知る
というところから始まるものでしょう。
受け身ではなく、
自分がしたいからする、という
自発性から発したものが
本当にその人にとって
血肉となっていく学びです。
自分がしたいことがわかっているから、
学んだことをどう使っていくかなど、
得たものが自分の中で即座に
有機的に組み込まれていきます。
受け身で学んでいる時は、
こういう感じにはならなくて、
ただバラバラのパーツが分離した状態で
自分の中に積み重なっていくだけで、
それらが有機的に機能できない
状態になりがちです。
日本人は特に真面目な傾向があるので、
与えられたことはちゃんとやるけれど、
自分が何をすべきなのか、したいのかを
人に聞いてしまうという指示待ち人間の
意識の人が多いな、と感じます。
そういう人ほど、
自分で思考錯誤すること、
間違うこと、失敗することを恐れて
正解を先に求めて、無駄を排し、
最短コースを行きたがります。
人生の学びにおいては、
自分の人生の正解は、
自分で見つける他ない、という概念すら
ないのかもしれません。
誰かに答えを求めて、
答えてもらえたとしても、
その答えは、その人が試行錯誤した中で
つかみ取ってきたものであり、
その結果だけもらったとしても、
自分の中で同じ意味合いで、
同じように機能するわけではないのです。
いただいた答えの行間を読み取るような
力が必要です。薄っぺらい表面的な
解釈でわかったようなつもりになって、
安心していてはいけません。
受け身で学ぶのではなく、
どう学んで何を身につけて、
それをどう自分の中で生かし、
熟成させていくのか。
本当の教育というのは、
人として豊かになるような
志の種や肥料となるものを与え、
自分で学び取っていく力を育てるのが
本来ではないかな、と思います。
機械のパーツになるような
人間を量産してどうする。
そんなことを思いました。