今日から9月、暑さもピークを過ぎて
大分過ごしやすくなってきましたね。
今年もあと4か月、
例年、私はこのくらいの時期から
この年をどう締めくくるのか、
どんな風に新しい年を迎えるのか
というのを、
大掃除をあちこちちょっとずつしながら
考え始めるのですが、
今年は例年とはちょっと違った感じで、
今振り返ってみれば、春頃から
ものすごく何かの意志を感じる
不思議な流れがありました。
そして8月は大きな転機があり、
未来につながる大切なヒントが
ポーンと飛び込んできました。
ここから年末にかけて、
このヒントを基に歩みを進めて行こう
と思ったところです。
自分がどんな風に生きて行けばいいのか、
本当のところ、それは自分にしか
わからないものなのだと思います。
本来それは、
巷に転がる様々な選択肢の中から
どれかを選ぶというようなものではなくて、
自分の内から現れるものによって
0からクリエイトしていくもの
なのでしょう。
そうでないと、既成の選択肢では、
自分を生かし切るためには
窮屈だったりブカブカすぎるなど、
丁度良くないところが絶対にあります。
結果、そういう合わないところに
自分の方を合わせていくという、
歪みを生んでいくのです。
それは、合わない靴を履き続ける
ようなもので、非常な苦しみとなって
パフォーマンスも悪くなります。
そういう、本来しなくても良い
無駄を避けるように心を配るのも、
自分を大切にすることだろうし、
自分の果たすべき責任だろうと思います。
けれども、
本当にそれをするには、
強固に刷り込まれた既存の枠組み中心の
意識から、悪い意味ではなく、
自分中心の意識に切り替える必要が
どうしてもあります。
この社会では、まだまだ
既存の枠組みに自分を当てはめるのが
上手な人ほど評価される傾向があるし、
その枠組みの中で生きる多くの人たちに
受け入れられるため、
それが下手な人は、
自分がおかしいのではないかとか、
ダメな人間なのだと考えてしまいがちだし、
その劣等意識を周囲の態度が助長するような
態度をとってしまいがちなので、
本当に自分中心の意識で生きるのは、
自分の中に自身の尊厳への確信を
持てるかどうかがカギになる
ように思います。
そして、
そのマインドではない確信を基に、
実際に行動を移せるか。
ここでも、すごく勇気を試されるでしょう。
みんなが同じようにしている
枠組みに従っている方が
何も考えずに過ごして居られるから、
余程楽なところはありますよね。
けれども、
自分のために、そこから出て
自分自身の道を歩む覚悟が持てるか。
そこから出たら、もうみんなと同じようには
生きてはいけません。
常に自分の責任で、
自分の道を切り開いていかなければ
いけないのです。
けれどそれは、とても自由で、
ロボットのように何も考えずに生きるよりは
はるかに感動に満ちた充実感は
あるでしょう。
枠組みの中で生きることが、
どれだけ自分を歪め、殺すことになるか、
その不自然さもよくよくわかりますしね。
生きながらに死んでいるような
ゾンビ人生を、我慢しながら
生きる理由はどこにあるでしょうか。
結局のところ、
今その状態にある人は、
枠組みの中で生きる安心などのメリットを
享受しながら、自分の選択に不平不満を
言っているのではないでしょうか。
不平不満があるなら、
抱え込んでいるメリットをまず放棄して、
自分オリジナルの道を創造するしか
ありません。
それは、どこか片手間にメリットを
掴みながらできることではなく、
まずはそれを手離さないと
始められないのですよね。
それを握りしめたままだと、
自分の中心からどうしても
ポジションがズレてしまうからです。
だから、この安心というのも、
なかなかに強力なトラップになっている
と思います。
本当はそれすらも、
幻想だとわかっていながら
離れられなかったりしますからね。
ドロドロの腐れ縁になったカップルが、
孤独や淋しさへの不安から
なかなか別れられないのに
ちょっと似てるかな?笑
まぁ、それも自分の選択。
善悪はありません。
私は私の道を切り拓いていきます。
あとはどこまで自分中心の意識を
体現できるか。
今年の残り4か月は、
そのチャレンジですね。