このところ続けている
「開かずの扉」の向こう側シリーズ、
また気づきがあったので、
備忘録的にまとめておこうと思います。
「開かずの扉」の向こう側を
掘り掘りしていって見つけたものを
辿っていったら、そこに見えてきたのは
ハートの導きに対する不信感でした。
常々、ここにつながることが大事だと
お伝えしてきているのに、
こんなにも不信感があるとは、
自分でも驚きというか
お恥ずかしい限りであります。
けれど、一方で、
どこかで、在るよね~って感じていた
ものではあります。
だから、ここは時間はかかっても、
しっかり向き合っていこうと
思いました。
頭ではね、わかっているのです。
ハートの導きを信頼するのが正解だと。
けれど、私の心はどうしても
それは嫌だと言うのです。
何とも言えない、絶望感や悲しみ、
苦しさが後から後から湧いてきます。
それらを悶えながらもじ~っと
受け止めて行ったのですが、
どうしてこんなに絶望しているのか、
苦しんでいるのかを辿ってみました。
よくあるパターンとして、
ハートの導きを信頼できない!
と言っている場合、
それは、ハートの導きを聞いたのではなく、
欲や恐れからのエゴの判断を聞いた
のだけれど、それをハートの声だと
勘違いしている、というのがあります。
この時の自分の苦しさも、
そのパターンかと思ったのですが、
どうやらそうではなく、
本当にハートの導きに従ったのに、
その結果がものすごく悲惨で悲しく、
報われないものだったようなのです。
精魂傾け、命を燃やし尽くすまで
頑張ったことの結果がこんなにも
報われないものであるならば、
ハートの導きなど金輪際信じられない!
と強く思ったようです。
抜け殻のように呆然としながら、
その結果を受け止められず、
否定し、切り捨てたのでした。
自分のやったことの結果を引き受けるのは、
必須だと常々思っているのですが、
魂をかけて信じたものに裏切られた
という現実を前に、精神が崩壊するかと
思うほどにショックは大きかったようです。
導きというのは、
こんなにも報われないものなのか、
元より、損得勘定でしたことでは
なかったけれど、こんなにも虚しさ
だけの残る結果を渡されて、
それでも導きを行うことの意味など
どこにもないではないか。
そんな気持ちでした。
こうした思いがずっと深いところで
あったので、私はいつもどこか、
最終的なところは自分の力で何とかしよう
としていたところがあります。
導きの力の中に自分を同化させていくような
サレンダーには、どうしても至らなかった
のですね。
その虚無感、悲しみ、無力感に悶えつつ、
やり場のなさに途方に暮れていたところ、
あることがきっかけで、
突然その気づきはやってきました。
その人生でその出来事は、
ひたすら無意味なこと、悲惨なことでしか
なかったのですが、ものごとは多面的であり、
一面的な見方では知ることのできない
ことがある、と。
当時の私は無駄どころか、悲惨であった
という側面しか見えていなかったのですが、
けれども、別の側面では、
確かに意味はあったのです。
それも、ものすごく大事な意味が。
けれど、当時の私は、
その後自分に降りかかった理不尽としか
言いようのない状況に、
そのことを認めることが出来ませんでした。
それも、無理からぬことかな、
と思います。
けれど、別の側面で見えた
とても大切な意味と、
紛れもなくそれが生きて働いている
ということを知った時、
自分が命を懸けてやったことが
無駄ではなかった、と、
ようやく知ることが出来ました。
それを認めたとき、
魂の深いところから覚えず、
嗚咽が漏れてきました。
詳細なストーリーまでは
わからなかったので、
自分がなぜ泣いているのかも
わからなかったのですが、
ただ、深いレベルで、
自分の尊厳が回復されたような
安堵がありました。
こんな意味があるなんて、
それを生きている内に知れ
というのも酷な話です。
人間目線の視野では、
到底理解できるようなもの
ではありません。
とは言え、何世ぶりにか
魂の深い恨みが解けたようです。
振り返って、
ハートの導きに従えるかどうか
と確かめてみると、
最初の抵抗感は随分軽くなりました。
ただ、まだハートの差し出す
結果を受け取るのは半信半疑
なところが残っているので、
引き続きワークして行こうと思います。