コミュニケーションが
どこかズレていてうまくいかない
という方のエネルギーを読んでいて、
色々気付くことがあります。
ご本人はズレていることで
何かしらの不都合を感じているのですが、
まずそういう方は、鏡の法則からして
ご自身とのコミュニケーションが
ズレています。
どういうズレ方をしているか、
というのを、鏡を通して
見ていくことになるのですが、
敢えて見ないようにして
ずらしていることもあるし、
全く悪気なく、自分だけに没頭して
周囲を見ていないが故に
ズレていることもあります。
その他様々なズレ方があるのですが、
その人の周囲に見える鏡の像の通りに
ズレているわけなので、
鏡の相手にアドバイスしたいことを
そのまま、自分に当てはめて実行すると
ズレは修正できます。
ただ、ズレているということによって、
自分を守っているというケースも
しばしばあって、
その場合は、そのようにして
守らなければならない状況を
整えていかないと、
ズレが修正できません。
何から守っているのか、
誰が何ゆえに攻撃してくるのか、
等を丁寧に掘り下げて、
守らなくても安全でいられる
イメージが自然にできるところまで
統合作業を続けていきます。
攻撃されるイメージがある場合は、
相手が自分の何を攻撃しているのかを
見ていくことがポイントです。
たとえば、容姿や能力、存在そのもの、
等をめがけて攻撃してくる場合、
自分も同じ理由で自身を攻撃しています。
そういうものを目にしたときに、
言いようもなく湧いてくる嫌悪感や
不快感などを統合していくことで、
攻撃しないでもいられるようになり、
そこか落ち着くと、
外部から攻撃されるというイメージ自体が
なくなっていきます。
すると、守る必要がなくなり、
ズレていなくても、安全に
コミュニケーションが取れるように
なっていきます。
また、先にお伝えしたように、
外側の人とコミュニケーションが
ズレているということは、
自分自身とのコミュニケーションが
ズレているということです。
ここに、根深い自己否定や自己嫌悪、
不信感などが絡んでいることが多く、
別の人生からの持ち越しの方も
多いような気がします。
どうしても自分自身が受け入れ難い、
という、その嫌悪感の根底にあるものは
何なのか。
掘り下げていくのに、かなり段階を
踏む方もあります。
受け入れ難い自分に直面することは、
相当に苦痛を伴うものでしょう。
そこには、かつて自分がやってしまった
過ちや、逃げてきた罪、様々に
のしかかる重たい感情の数々が
埋もれています。
肚を決めて、受け止め、統合してしまえば
何と言うことはないのですが、
そのスタート地点に立つまでが
なかなかに決心がつかなかったり
するんですね。
ただ、そのように自分が自身を
嫌っている、憎んでいる、呪っている、
拒絶しているという事実に気づいたなら、
在るがままにその事実を認めるところから
一歩前に進むことが出来ます。
まずは知ることが大事なんですね。
人は、故なく自分を拒絶したりは
しないでしょう。
相応の事情があったのです。
たとえまだ今はその事情が分からなくても、
そういうものを抱えてここまで生きてきた
自分を労ってあげましょう。
それが出来ただけでも、
緩むものがあるでしょう。
問答無用で否定、拒絶し、断罪しないように。
そういうことができるようになると、
固く閉ざした封印が少しずつ開いていきます。
そして、その出来事の痛みを当事者として
受け止め、また寄り添うことで、
癒しと変容が起こっていきます。
このように、
単にコミュニケーションのズレ
と思っていたところに、
実に根源的な痛みが眠っていたり
することもあるんですね。
ズレているにはズレているなりの
理由があり、事情がある、
ということを深く深く汲んでいく
慈悲の眼差しが大事かな、
と思います。