来週14日の満月のオンライン瞑想会、
まだまだ参加者募集中です!
今回から、Zoomで行います。
ご興味ある方はぜひどうぞ。
さて。
日本は察する文化の傾向があるので、
相手が言葉に出して言うより先に、
汲み取って応えるのを良し、
とするところがあるような気がします。
逆に、あまりにそれが強く出ると、
何でわかってくれないのよ!
言わなくてもわかってよ!
みたいな要求をしてしまったり
することが、みなさんにも
心当たりがあるのではないでしょうか。
察するって言っても、
何でもかんでも察しろっていうのは
無茶な話だし、それは自分の欲求を
自分の言葉で伝える責任を他者に
押し付けていることにも
なるんじゃないでしょうか。
でも、身近な人に対するときほど、
求めてしまって、
うまく汲み取ってくれないとか
愛されていないとか、
大事にされてないとか
思ってしまうんですね。
自分には、自分をきちんとケアして
幸せにする責任があります。
今、自分が何か不都合を感じていたり、
心地良くいられていないのだとしたら、
それを改善して自分をケアする責任は、
基本的には自分自身にあります。
とても幼かったり、
体が不自由な状態の方はまた
別でしょうけれど、
常に、自分を幸せに、心地良い状態で
居られるために、自分ができることを
まずは果たしていきましょう。
本当はこうしてほしい。
こんな風にされるのは嫌だ。
これをしたい、これはやりたくない、
あそこに行きたい、こちらに行きたい
などなど。
黙って誰かが自分の願いを叶えてくれるのを
待つよりも、一言、言えればその方が
余程早いし簡単、ということもあります。
そういう、自身の欲求をなかなか
表現しにくいのはなぜでしょう?
そこには、何か理由があると思います。
どうせ自分のいうことは理解されない、
聞いてもらえない、とか、
自分のニーズを表現したら、
相手に迷惑が掛かってしまう、
我儘だと思われてしまう、
徹底的に否定されるなど。
実際に、かつてそういう体験をして、
とても心が傷ついているのかも
しれません。
そういう傷があると、
自分のニーズを表現することに
躊躇があったり、ブレーキがかかったり
することがよくあります。
長年、自分の思いを表現しないで
過ごしていると、いきなりそれをしよう
と思ってもなかなか簡単ではなかったり
するので、
まずは心の傷を癒して、
少しずつ自分の幸せのためにできることを
意識していくと良いように思います。
人の行動原理の根本には、
如何に傷つかないで生きて行くか、
ということが大きくあると思います。
人から傷つけられずに済むなら、
自分のちょっとしたニーズくらい、
我慢して抑えていた方が余程安全で
楽にいられる、という選択を
している方も多いでしょう。
けれど、それを続けていると、
自分を小さく小さく矮小化し、
世界と関わっていく喜びも、
小さくなってしまいます。
傷つく痛みから逃げないで、
責任転嫁をせず受け止めていくことで、
私たちは痛みを自ら癒していくことが
できます。
自分で自分を癒せるという体験を重ねていくと、
傷つくことはそれほど恐いことでは
なくなっていきますし、
心もおおらかになっていくので、
もっとリラックスして自分を表現したり、
人とコミュニケーションできるように
なっていくでしょう。
のびのびと自分のニーズを表現できるように、
それをすることへの恐れを明確に
していきましょう。
そこに、心の傷があります。
その痛みを、お迎えに行くんですね。
自分を表現する自由と喜びを
取り戻していきましょう。