鏡の法則って、私のお伝えする
感情解放ワークでもすごく良く使います。
たくさんのスピ系の本でも
書かれていますから、
ご存じの方も多いでしょう。
ただ、鏡を使いこなすには
ちょっとしたコツが要るので、
なかなか自身の現実に照らして
気づきに至ることが難しい
というのはあると思います。
かく言う私自身も、
頭ではわかっていても、
なかなか気づきに至ることなく
何年も放置してきたテーマに、
先日やっと気づくことが出来ました。
とても強烈な出来事だったのですが、
その出来事を反芻しながら、
ふと浮かんできたのは母との
幼少期のある出来事でした。
今なら、母の立場もわかるし、
仕方がなかったところは確かに
あっただろうと思っています。
けれども、それでもなお、
母自身のしたことについて、
私はどうしても許せませんでした。
私がどんなに辛かったか、
ただ一言、自分のやったことを認めて
謝ってほしい、とずっと思っていました。
けれども、母はそれについて、
決して謝ることはしませんでした。
それも自分の鏡なんだろうとは
頭では思っていたのですが、
先日の出来事で、なるほど!これか!
というのが見事に腑に落ちました。
母の態度についても、ですが、
何より、私は自分の苦しみの責任を
母に押し付けていたんだな、
ということが分かったのです。
社会的、道義的責任はもちろん別ですが、
自分の感情の責任は自分自身で
取らねばならない、というのが
ワークの基本です。
それがわかっていながらも、
私は自分の苦しみは母のせいだ
と思っていたのでした。
それは、私自身が引き受けねばなりません。
やっと、そのことが理解できたのです。
自分の中では当然、と思っていた大前提が
違ったんですね。
ワークではしばしば、こういうことが起こります。
何十年も苦しんできたことが、
その苦しみの大前提が違った。
となると、自分が思い描いていた
被害者加害者の世界観、ストーリー自体が
根底から崩れ去ります。
さらに、母が私にしたこともまた
鏡なのです。
単にそれが映し出されて
自分に返ってきていただけ。
それも、たくさんの方に毎回
セッションしていて、
お伝えしてきたことです。
でも、自分ではこれだけ強烈な
お知らせが来ないとわからないんですね。
自分がどれだけのことを
自身にしてきたのか。
母が赦せなかったということは、
まだ自分の中にその要素があった
ということでもあります。
それから、もう一つ、
数年前に受けたある講座の先生との
やり取りで、リンクするものがありました。
私はどうもその先生と相性が悪かったらしく、
先生の教えを受け取ろうとすると
ものすごく気持ちが悪くなって、
どうしても内容が入ってきませんでした。
自分でもかなり努力したのですが、
先生のカウンセリングもあまりに強引に
感じられて、精神的にも限界の症状が
出てしまったのでほどなくして
退会した経緯があります。
当時は、これも鏡なんだろうな、と思って
確かにあの先生のようなことを
自分もしているかもしれない、
という程度には思っていましたが、
完全に腑に落ちたわけではありませんでした。
そのことと母のことがリンクして、
あぁ、まさにこの感覚なのだ、
という気づきがようやくやってきたのです。
その先生や母の視点と、自分の視点が
あぁ、なるほど!といくつもの場面が
フラッシュバックしながら走馬灯のように
その時の自分の気持ちとともに
浮上してきました。
鏡はそこかしこに在りながら、
なかなかにそこに映った像を自分のこととして
理解することは難しいですね。
辛い記憶であればなおさら、
鏡をのぞき込むことは至難でしょう。
でも、人生が差し出してくるものからは
逃れられませんね。
とても強烈な体験だったけれど、
ここまでの学びをもたらしてくださった
相手の方には本当に感謝しかありません。
有難いことです。
まだ余韻は続いていますから、
気づきはまだまだ続いていくのでしょうけれど、
どこまでいただいたギフトを深めて行けるのか、
余すところなく高めて行けたら、
と思います。