人間は、ロボットではありません。
当たり前だけれど、
どれだけAIなどの技術が進んでも、
ロボットには持てないものが
あるだろうと思います。
たとえば、まごころ。
精緻なプログラムを組むことによって、
それっぽい行動をロボットにさせる
ことはできるかもしれないけれど、
真心のこもった言動をさせる、
元になっている心の温かさを、
どうやって再現させることが
できるでしょうか?
恩寵を、どうやって感じることが
できるようになるでしょうか?
そういう、人間としての
とても大切なものを感じる感覚を
自ら閉ざして生きようとする人も
多いけれど、
そういうものが欲しくて欲しくて
狙ってくる輩がわんさかいるのに、
勿体ないことです。
辛い感情を感じると、
感情なんてなくなればいい。
何も感じないまま、ただ正確に
外から求められたことをこなせるだけの
機械になれたらどんなに楽か。
と思うことも確かにあるでしょう。
私自身、むか~し昔、自分にとって
最も要らないものは感情だと
思っていた時代もあったので、
その気持ちもよくわかります。
けれど感じることは、
単なる刺激に対する反応という以上の
もっと精妙で、言いようのない神聖さと
深淵な何かの一部としての自分への
扉を開いてくれます。
人によって様々な段階や状態がある
でしょうが、大切なものを感じる感覚を
失いたくはないものだと思います。
困難な人生を歩む中で、
生きるためにその感覚を閉ざさざるを
得なかった方もあるだろうと思いますが、
たとえ一時期閉ざしたのだとしても、
それは必ず開かれることを求めて
浮上してくるものです。
感情解放のセッションでは、
分断されたそうした感覚とのつながりを
回復させていくということも
していくのですが、
ある意味、ここがつながっていくことが、
自身の人生を生きるカギに
なってきます。
自分の人生を導き、
この世界にいざなった命の潮流のようなものを
しっかり捉えられるようになると、
深い安堵の感覚が人生に裏打ちされます。
たとえ困難があっても、何とかなるかな、
という人生に対する信頼が、
自然に湧いてくるんですね。
だから、
本来は無理してポジティブシンキング
なんてする必要もないのです。
そういう感覚は、
その導入のところでセオリーや
テクニックのようなものは
あるかもしれませんが、
基本的には、
どうやって?という方法論で
身につけるものではなく、
本質的には元々持っていたものを
思い出すようなイメージです。
人生のごく初期から、
非常にサバイバルで困難な人生を
送ってこられた方でも、
魂に刻まれた無数の人生のどこか
1ページにでも、刻まれているものが
あるはずだと私は思うんですね。
ものすごくそういう感覚が
固く固く閉ざされて、遥か記憶の彼方
という方でも、チェックしていくと、
元々なかった、という方には、
私はまだお会いしたことはありません。
いかにそれを引き上げて、
稼働する状態にしていくのか。
ロボットのように生きることを
選んだときの動機をクリアする
必要もあるでしょうし、
そういう状態で生きてきたことで
その上に築かれてきた諸々のすべてを
清算していく必要もあります。
ロボットとして生きることを
やめても良いのか、
そうすることで得てきたメリットが
無くなっても大丈夫な自分なのか。
それらを整えながら、
人生の大前提のようになってしまっている
「感じない設定」を大転換していきます。
内なる導きとともに在る自分の人生を
これからずっと生きて行く。
本当にそれで良いだろうか?
というところを問いかけていくんですね。
それは、何かメリットがあるから
そうする、というのではなく、
ただそれが自分本来の姿だから
そのように生きるのです。
ロボットのように生きるというのは、
人間としての尊厳を自ら踏みにじっている
のと同じです。
周囲の状況が尊厳ある生き方を許さない
と思う方は、まず自分が自身に
周囲が自分に対してやってくるようなことを
やっていないか確かめてみましょう。
確かにやっていたなら、
その在り方をまず改めるように。
自分をぞんざいに扱うことなく、
まごころを持って接すること、
辛い時に、自分を一人ぼっちにして
置いて行かないこと。
信頼と慈しみを持って向き合うこと。
これらは、お金をかけずにいつでも
自分だけでできるはずですから、
できるところから改めて行きましょう。
どうぞ自分を、作業をこなすだけの
ロボットにしないように。
あなたの人生が、豊かで在りますように。