今日は久々に、境界線をテーマに
取り上げてみたいと思います。
ここで言う境界線というのは、
自分と他者との区別をしっかり持つ
ということを指します。
これが曖昧だと、
不用意に他者の侵入を許したり、
また自分の方が他者の境界線を
意識、無意識的に侵害し、
不健全な関係性になってしまいます。
親子関係やパートナー間、
あるいは、友人知人の間でも
適切でない距離感に悩む人は
少なくありません。
具体的な事例を挙げてみると、
パートナーの機嫌が悪いのは
自分のせいだと思って
あれこれ世話を焼くなど
安易に自分を差し出すようなことを
するとか、
お隣さんの家の内情に
関係ないのにあれこれ
口を出してくるとか、
友人のプライベートなことを
やたらとチェックして
首を突っ込んでくるとか。
つまり、境界線がしっかりとれていないと
自分の責任領域ではないことを
あれこれ心配して責任を取ろうとしたり、
口を挟んだり手を出してくる
というようなことが起こるんですね。
境界線を踏み越えてくる人は、
土足で人の家に入り込んでいく
ようなことをしているわけですが、
大体本人にその自覚はありません。
そもそも、境界線の感覚が
薄いというか、無いんですね。
踏み越えられてくる側にとっては
たまったものではありませんが、
ここはあなたのナワバリではない
と伝えても、理解できずに
同じことを繰り返すケースも
多いですね。
また、ハッキリとそれとわかれば
バシッと拒否できるけれど、
微妙なケースも多々あり、
警戒しているはずなのに
いつの間にか、べったりとすり寄られ、
エネルギーを奪われているという
場合もあります。
一般の方も境界線をしっかり取るのは
どんな場面でも健全な人間関係を
築いていくためには必要ですが、
特にヒーラーやセラピストなどにとっては
必須のマスター項目と言って良いでしょう。
より深く人の心に触れて行くが故に、
ここを適切にさばけないと、
サポートする側も一緒に溺れてしまい
かねません。
厳しいようだけれど、
締めるところはバシッと締められないと、
変に同情しては足元をすくわれてしまい、
自分にとっても相手にとっても
良いことはありません。
そういう意味では、
プロとして仕事でやっているなら
冷酷なくらいで丁度良いと、
これまでの経験で私は思っています。
逆に言えば、
冷酷と思えるくらいに
覚悟を持って仕事に臨んでいる
ということでもあります。
境界線が曖昧な人は、根本的に、
自分で自分を支えられていない人
と言えます。
どこかに寄りかかって、
自分をおろそかにし、
他人にかまけて何とか
自分の心を収めて生きている人です。
そういう人の生き苦しさを癒していくには、
その在り方を転換していかなければ
いけません。
それは、根本的な在り方の大改造工事
になります。
そのようなプロセスをサポートし、
導いていくには、一切の同情は
不要であり、命取りですらあります。
ただ、必要なことを、
タイミングと状態を見ながら
適切に投げかけていくのみです。
それに応えるも応えないも、
その人の選択でありましょう。
ヒーラーやセラピストは、
自分の責任領域を明確に認識している
必要があります。
そうでないと、クライアントさんと
不用意に絡み合ってしまいますからね。
そういう仕事をしていない方でも、
感情面での自分の責任領域というのは、
自分自身の気持ちについて責任が
あるのであり、相手の気持ちの責任は、
相手にあるということを覚えておきましょう。
たとえ何かきっかけになるようなことが
あったとしても、すべての人が
その出来事によって、同じように
傷ついたり怒ったりするわけではありません。
相手のその反応は、その人自身のものであり、
たとえお前のせいだと言われても、
相手の感情はその人自身の責任になります。
これは、逆の立場でも同じです。
あなたが幸せでないのは、
あなた自身の責任であり、
パートナーや子供や親のせい
ではありません。
自分の機嫌は自分で取ることです。
境界線の問題は、
ものすごく奥が深くて、
私自身、何度もトライ&エラーを
繰り返しながら学び続けています。
もう大丈夫!と思っても、
思わぬところに、ほら、ここに隙がある!
と知らしめる痛恨の出来事がやってきたり
無自覚に責任転嫁をしている自分に
気付いたり。
机上で学んでも、実際にそういう場面を
幾度も経験しながら越えていかなければ
身につかないものでもあります。
本当に覚悟して、結果を引き受けないと、
厳しい態度を取れなかったりしますしね。
そうしていく内に、
自分軸がしっかり通って、
境界線を適切に引けるようになるでしょう。
本当に人と愛の関係性を築いていくのは、
ここから始まります。
境界線を適切に引けない関係性など、
ただの依存、馴れ合いであるということを
肝に銘じておきましょう。