よく、鏡の法則って言いますが、
実際自分の現実に照らして
使いこなせている方は、
なかなかいないんじゃないかと思います。
このブログでもこれまで何度か
書いてきていますが、
ちょっとしたコツが要るんですね。
大抵、自分の感情に引っかかる
相手というのは、何かしら
ネガティブな感情を掻き立ててくる
相手なわけで、
その相手が自分の写し鏡だというのが
全くと言っていいほど
ピンとこないことが多いのが、
鏡をうまく使いこなせない
要因の一つではないかと思います。
いくら何でも、私はあそこまで
ひどいことはしないわ!とか、
全くもって、共感もできないし
あの考え方、価値観に理解できるところは
何もないとか。
一見して、自分の中にその要素が
カケラもないように感じられるのです。
だから、あれが自分だと言われても、
は!?って感じになってしまうんですね。
このため、鏡の法則なんて言っても、
当てはまるときとそうでないときが
あるんでしょ?とか、勝手に例外を作って
自分には当たらなかった、という結論に
落ち着くわけです。
でも、それはちょっと早計です。
まず、人の認識には抑圧やバイアスが
かかるので、わかっているようで
わかっていない、あるのに無い、
と見えてしまうことが良くあります。
特に、自分の価値観に照らして
絶対に認めたくないような姿が
自分の中にもしあった時、
意識、無意識的にもその要素を
瞬間的に認識の外に置いて
しまうことがあります。
だから、そういう要素、ありますか?
と問いかけても、無いですけど?
と、知らぬふりではなく、
本当に認識できないのです。
仮に、その要素が自分の中に
あってもなくてもどちらでも良いけれど、
もしあったとしたら、ちゃんと直視
できるだろうか?と問うてみたとき、
「当事者として」確かにそれがある、
と逃げず、誤魔化さずに言えるかどうか、
というのもチェックポイントです。
もし、それがキツイな、と思うのなら、
多分ニュートラルにその要素を見られず、
あっても無いことになってしまっている
可能性が高いです。
自分の中のその要素を否定すればするほど、
その人の人生にはそういう人を
嫌というほど引き寄せますし、
その程度も段々と強烈になっていきます。
最初は、ちょっと癖があるな、
くらいだったものが、
これはひどいね、という感じになり、
さらに、常軌を逸しているくらいの
人が現れるようになる、といった具合です。
そうなると、もう辟易というか、
そういう人を見るたびに
自分の中でその人を否定、批判し、
軽蔑したり強く拒絶し、憎んですら
いたりします。
けれど、目の前に現れているその人は、
自分の中の要素を100倍、1000倍に
デフォルメして表しているような
ものなのですが、
拒絶感が強いほどに、
それが自分であると認めることは
非常に難しいでしょう。
これが、鏡を活用することの
難しさの一つになるわけです。
本当にニュートラルに鏡をのぞき込んで、
そのひどさ、醜さの質感、エネルギーに触れ、
直視しなければ、分離の壁を崩壊させるような
気づきは起こりません。
あぁ、これは紛れもなく自分自身だ!
と、理屈抜きに同じ感覚を自分の中に
見たときに、
それまで固く抱いていた
軽蔑、憎しみ、怒り、悲しみ、
被害者意識などのすべてが
吹き飛ぶのです。
これは、頭で、あれは自分なんでしょ、
と言って納得することでは
決して起こり得ない変容なんですね。
セッションしていても、
ここをしっかり見て
あぁ、そうか。。。と気づいた方は、
同じストーリーを繰り返しません。
分かったつもりで直視していない人は、
統合できていないので
やっぱりあの人とは違う、と
その人への批判や怒り、被害者意識を
握りしめて何度も戻ってきます。
そういう人にも、
それなりに言い分はあるんですよね。
それまで、どれだけ相手からされた
ひどいことで傷ついてきたか。
積年の恨み、痛みがあるわけです。
それを、誰のせいにもしないで
受け止めて、相手のその言動の奥にある
気持ちに触れることが出来るか。
通常だと相当に難易度が高いことですが、
これが出来たときに、その気づきが
ようやくやってくるのです。
頭でわかっても、気持ちがついてこない
というのはよくあることで、
どうしても嫌なんですよね。
そこを、越えようと思うかどうか。
感情解放のセッションでは、
逃げてしまいたくなるそのプロセスを
ヒーリングのエネルギーをかけて
緩めながら誘導していきますが、
もういい加減、この無限地獄も
脱出したいな~と思って
サポートが必要な方は、
ぜひご連絡くださいね。