突然ですが、あなたは
朝食を食べる派ですか?それとも
食べない派?
朝食べると調子が悪くなってしまう
という人もいれば、食べないと
力が出ないという人もいます。
1日3食しっかり食べて元気な人もいれば、
1食で十分で、食べ過ぎると辛い
という人もいます。
また、たくさんの人と関わることで
どんどんエネルギーを循環させて
パワフルになる人もいれば、
そんな風にしてしまうと途端にバランスを崩し、
具合が悪くなってしまう。
限られた人とゆっくり過ごして、
自分自身の繊細な感覚を休め休めして
過ごさないと、とてももたないという人もいます。
何が言いたいのかというと、
万人に共通の健康法、絶対に良いという
在り方、生き方はないということです。
そんなことは当たり前だし、
わかっているという人も多いと思いますが、
一方で、うまく行っている人のようにできない
自分に劣等感を抱いたり責めたりしてしまう人も
少なく無いのではないかな、と思います。
誰かのように生きたいわけではないし、
そもそもそんなものは自分に合わないのは
わかっている。
にもかかわらず、そういう他者を見て
心が落ち着かないのは、
今の自分に何かしら、満たされないものを
感じているからではないでしょうか。
そんな時にふとよぎる
様々な気持ちを誤魔化さずに
しっかり見つめてみると、
さらに自分を満たしてあげる道が
見えてくるでしょう。
まだ満たされていないのは
どんなところなのか。
そのニーズの奥にある、
根幹の願いは何だったのか。
正直に、見つめていくと良いと思います。
そこには、長年苦闘してきた歴史の積み重ねと、
その中で蓄積された無力感や無価値感、
諦めや虚しさの様な感情の数々が、
澱のように堆積しているのかもしれません。
人によってはこういうものがとても少なくて、
素直に自分を信じて力をすぐに発揮していく
ことが出来る人もいます。
けれど、少なくとも自分はそうではない、
と思う方は、そういうものに向き合う段階が
必要なのだと思います。
そういう段階をきちんと越えて行ったときに、
しっかりとブレずに自分の道を歩み続ける
土台が備わります。
毎瞬差し出される自身の現実は、
自分をより良く生きるために必要な
様々なトレーニングが実にバランスよく、
必要なものが必要なだけ組み込まれている
フルオーダーのメニューです。
必要だからそれが起こってくるわけで、
それにどう応えていくかを試行錯誤する中で、
ちゃんと自分を最高に生きて行くための力がつき、
幸せに導かれていくのです。
けれど、しばしば私たちはその絶妙に組まれた
トレーニングメニューを拒絶して、あるいは
誤魔化して通り過ぎようとします。
あるいは、そのメニューに不平不満を言い、
世界や自分、神を逆恨みしたりもします。
そうすると、それだけ幸せから遠ざかるのは
道理でしょう。
その試練は、あなたへの意地悪や罰で
起こってきているわけではありません。
ただ、この先、坂がきつくなるから、
今のうちにしっかり足腰を鍛えておきなさい
というメニューだったり、
そういうものの見方をしていたら、
必ずうまくいかなくなるから、
きちんと修正しなさい、という呼びかけ
だったりするんですね。
だから、自分なりに真摯に受け止めて、
試行錯誤しながら自分なりの答えを
返していくと、その次のステップが
大きく開けてくるようになっています。
逆に、そのようにできないと、
何度も何度も同じ課題が差し戻されてきて、
繰り返すほどに出来事も大きくなって、
深刻さを増していくようになります。
課題は決して、最初からそんなに大きく
無かったはずなんですね。
そうなるなるまでに、必ず何度も逃げたり、
スルーしてしまった過去があったはずです。
逃げていたことに気づいたのなら、
今度は逃げずに対峙してみるとか、
少しでもかつてできなかったことを
出来るようにチャレンジしてみましょう。
自分が変わらなければ、
何度やっても、自分の現実は変わりませんから。
諦め、腐っている自分がいるなら、
諦めない苦しさを突き抜けて、
その状況の中で最善を尽くし続ける
自分を体現してみましょう。
そうしたとき、諦めて負けた自分の
自尊心が復活してきます。
人間、本当に辛くて心が折れてしまう
時もあると思いますが、そういうときは、
折れた心からも離れずにいることです。
その辛さもしっかりと味わい、
受け止めていくことが、
後々あなたの強さの土台になっていきます。
そして、心が折れても復活できるということを
身を持って体験したあなたは、
後から来る人の希望であり励みとなるでしょう。
何事も、無駄はないということですね。
置かれた状況の中から、
人生の糧となるものを拾い上げ、
力としていかれますように。