セッションしている時、
私はその人の意識をずっとリーディング
しながら進めているのですが、
割と捉えやすい人もいれば、
そうでない人もいて、
同じ人でもあるときはわかりやすいけれど、
別のときには非常に読みにくい
ということがあります。
その人の元々の意識の在り方の要因が
大きいのですが、テーマの核心に
意識を向けていくとき、途端に激しい
抵抗に遭う、なんてことも良くあります。
また、たくさんの同居人、つまり、
その人自身でない別の存在を
体の中にたくさん入れている人は、
ご本人が一体どこに行っちゃってるのかな~?
と捜索することもしばしばです。
後から後から入り込んでいる存在が出てきて、
お帰りいただくのですが、当の本人が
自分の人生に戻りたくないと思っていると、
次々に替わりの存在を引き入れてしまうんですね。
そうして、本体はどこか奥の方に厚く扉を閉ざして
隠れているか、別の意識領域に退避している
状態になっていることが多いです。
こういう状態は、以前書いた、
生きながらに死んでいる人も
その一部になりますが、
こういう状態になっている人がすべて
死にたがっている人というわけでもありません。
そこまではいかないけれど、
この世界で生きることに怯えて退避し、
自分の人生から逃げてしまっている
人もいます。
どちらの状態にせよ、当然その人は
この世界を生きて行くための力につながれず、
無力感や無価値感に苛まれます。
地に足がついていないので、
いつもフワフワしていて踏みとどまれず、
容易く流されるとか、吹けば飛んでいくくらい
安定感のない在り方になります。
そうなると、人生がうまく行くことは
ありませんから、辛いことが増え、
ますますこの世界に生きることが
嫌になるという悪循環に陥ります。
早く人生が終わればいいのに、
なんて思ってしまうんですね。
まともに自分の人生に居ないのですから、
力を出せないのも道理でしょう。
こういう人は、どこかで方向転換しないと、
いつまでも人生は辛いものになります。
けれど、もしそれが出来たなら、
その人は生きる力を取り戻していきますし、
人生を生きる喜びも、湧いてくるでしょう。
もっと早く戻ってくればよかった!
時間を無駄に浪費してしまった、
と思う人もあるでしょう。
自分の人生に戻って、
純粋に自分自身を生きるだけで、
その人らしい魅力は自然に湧いてきますし、
無理に個性を追求しなくても、
本来一人として同じ人間はいないわけなので
同じようになれるはずはないのです。
むしろ、同じようになろうとする方が
難しいはずだと思います。
それなのに、没個性なんて言葉があるのは、
よほど一人一人が自分を殺して
抑圧しているからなのだろうな、
と思います。
親の顔色を見て、先生の顔を見て、
友達の様子を見て、
世間から後ろ指さされないように
注意深く無難で飛び抜けず、
できるだけみんなに受け入れられるように
自分を矯正して演じているのでしょうね。
それが苦しすぎるので、
感じる感覚を閉ざしたり、
自由で在りたい自分を無かったことにしたり、
自分だけの安全な異空間に意識を逃したり、
見えないところで鬱憤を晴らすようなことをしたり
と様々な逃避をするようになります。
逃避はそのまま、精神構造の歪みになります。
本当の自分を取り戻すプロセスは、
逃避していたルートを閉ざして
この歪みを一つ一つ正していく
作業になります。
同居人の他、他者の思念や暗示、呪いの類、
エネルギー的なインプラントなど、
様々に入り込んだ自分ではないエネルギーを
外していくにつれて、
蓋が外れ、汚れが落ちてきれいな地が
見えてくるだけではなく、
本来不必要な構造物が外れると、
全体のエネルギー構造も
ものすごく大きく変化します。
そういう変化を、本人がどこまで許すか、
というのがセッションの深さに直結しますが、
それはすなわち、
本人が本来在るべきポジションに
戻ってくる準備がどこまでできているかな?
というところにつながってきます。
本当に自分の人生を生きる気があるのか?
と、逃げ道を塞いでいくにつれて、
何度も、何度も問われるでしょう。
この問いに、頭の都合で答えている内は、
目に見える成果は表れません。
本当に肚を決めたところからの決意でないと、
道は開けないのです。
そうやって、純粋な自分に帰って来るんですね。
自分を生きるというのは、概念ではありません。
日々起こってくる出来事に対峙することで
嬉しかったり悲しかったり、恐かったり辛かったり
という逐一を、逃げることなく受け止め、
味わい、実際に体験していくことです。
自分が逃げてきたものを引き受けられるほどに、
自分の内から力と、生きる喜びが
湧いてきます。
逃げることは、一時楽になったように思えて、
自分から力を奪っていくことなんですね。
だから、ちゃんと向き合って、
適切に応答すること。
あなたが本当に力強く、
凛々しく輝いていくことを願っています。