昨日の記事で、自分の中心と内なる神について
意識を向けたとき、ふと面白いビジョンが
やってきたので、書いてみます。
気楽な読み物として、そんなこともあるのか
という程度に読み流していただけましたら
幸いです。
自分の中心、と思った時に、なぜか
刀を中段に構えた構えた武士のビジョンが
見えたんですよね。
丁度肚の前で刀を握っているその体勢のとき、
自分の中心と刀身がす~っと一直線に
通った感覚がしました。
ちなみに、私が言う自分の中心というのは、
身体のどこか中心のことを指している
わけではありません。
自分という「存在の中心」という意味で、
肚のことでもハートのことでもないのです。
それを伝えるのは難しいのですが、
ただ感覚を通してのみ、
感じ取ることが出来るものです。
なので、ここでお伝えしたいのは
肚と刀身との関係ではありません。
私は剣道もやったことがないので
竹刀すら振ったことはありませんし、
ましてや真剣など触ったこともありません。
ですから、下りてきたインスピレーションも
単なる素人の絵空事くらいに流して、
玄人の方はあまり厳しく突っ込まないで
くださいませ。
話は戻りますが、
ビジョンの中で、刀を自分の正面に
中段で構えたときの、その刀身の重さが、
自分の中心にす~っと抜けて、
刀と自分が一体になった感じがしました。
すごく不思議な感覚だったのですが、
刀は武士の魂と言われるのも、
この感覚からすると、さもありなん、
とすごく腑に落ちました。
それは、概念的な意味ではなく、
刀はそれを握ることで、
真っすぐに自分の中心に導く
ものでもあるな、と感じたのでした。
すごく精神的なアイテムですね。
逆に言うと、ちゃんと自分の中心から
使えていないと、刀は本領を発揮できず、
強くなれないのだろうな、と思いました。
どんなアイテムにも同じことは言えるのでしょうが、
こと、日本刀に関しては、この日本人の中心感覚
に共鳴する何かが強くあるような気もします。
この中心感覚を捉えることは、
私のセッションでも非常に重要視している
ポイントなのですが、
これがつかめるかつかめないかで、
本当にその人の発揮できる力のポテンシャルは
ものすごく違います。
ということは、刀をもって鍛錬することは、
まさにこの中心感覚を非常に強力に
強化することになるわけで、
そりゃぁ確かに日本人の凄まじい強さが
古来より世界から恐れられたわけだと
納得です。
先の大戦でも、日本は国としては確かに
負けましたが、その強さは敵国の脳裏に
焼き付いたからこそ、ここまでその精神の核を
破壊するような工作を、米国は戦後の日本に
執拗に仕掛けてきたわけです。
それ以前の時代についても、
小名木善行氏のこんな動画も
参考になるかもしれません。
私たちの祖先というのは、
こんなにすごい民族だったのか!と
かなり目から鱗でした。
面白いのでお時間あるときにどうぞ。
https://youtu.be/Pa5e1BRoFvo
これ以外にも、明治の時代に
300人あまりの中国の海賊が長崎で無法を
働いていたのを、たった3人の警官が
撃退したという小名木氏のお話の動画も
どこかにあったのですが、
いやはや、桁違いの強さです。
明治の警官というのは、もちろん、
元お侍さんであります。
刀を振って日々鍛錬することで、
昔の武士は自分に向き合い、
その精神と肉体、技術を
磨き上げて行ったのでしょうね。
アイテムに頼るのではなく、
それによって自分を磨き、
深めていくという、本当の意味での
アイテムの使い方だろうと思います。
余談ですが、去年から私がはまっている
アニメ、鬼滅の刃で、どのシーンだったか
多分立志編辺りの一シーンだったと思いますが、
炭治郎が敵の攻撃に吹っ飛ばされるのだけれど
刀を握ったまま受け身を取ってすぐさま
立ち上がって刀を構えている場面があって、
アニメとは言え、なんだかすごいな!
と思ってしまいました。
吹っ飛ばされた段階でまだ刀を握っていられて、
しかも自分を刀で傷つけないで受け身が取れる
というところですごいな!と思って、
私だったら腕が何本あっても足りないな!
と、アニメ的には何でもないシーン
なのかもしれませんが、妙にツボでした。
以前にも書きましたが、
このアニメのキャラクターたちって、
全員肚に重心が取れていて、
身体の使い方にちゃんとエネルギーが
通った描かれ方をしてるんですよね。
だから、刀を握った時の重さの感覚も
感じられるという、他にこんなアニメ、
私は見たことないです。
って、あまりアニメを見てるわけでは
ないのですけれどね。
とまぁ、雑談のようなお話でしたが、
楽しんでいただけましたら幸いです。