自分の軸をどこにどういう風に取るのが
良いのかって、なかなかに難しいこと
だと思います。
私のセッションでは、
その人自身の存在の中心を捉え、
そこにチューニングするよう、
様々な働きかけ、調整を行っていくのですが、
今では普通に捉えられているこの中心感覚、
そう言えばいつからわかるようになったんだろう?
と振り返ってみると、
実は体の中に様々な存在が入り込んでいるのに
気づくようになった前後からだったような
気がします。
どういうわけか、どれだけ働きかけても
自分の感情のエネルギーに触れられないとか、
命の呼吸をしても統合が進まない
とかいう事例があって、
最初はその人自身が見たくない、触れたくない
という恐れから自分でブロックしているのだと
思っていたのですが、
あるセッションで、
明らかに、その人自身のものじゃない
何かが体の中に入っているのがわかって、
それに対処していったら、
入り込んでいるものが様々にその人の中で
悪さをしていることがわかってきました。
その他、インプラントを入れられて
コントロールされていたりというケースも
結構出てきて、
人の体にこんなに色んなものが
入ってるんだ~!というのが
私自身も結構衝撃的でした。
で、そういうものを取り除いていくと、
その人が自分自身をどんどん取り戻していく
様子を間近で見ていて、
それまでズレていた存在のレイヤーが
ぴったりと収まって行くときに、
す~っと奥まで通っていく感覚があることに
いつからか気づいたようです。
その辺りの経緯は自分でもよく覚えていません。
でも、ここが捉えられて定まると、
この人にとっては最も正常な状態だと言える
ということは直感的に分かりました。
人のそれがわかるということは、
自分自身の中心もわかるようになる
ということとイコールであり、
私自身も普段から様々な瞬間で
この中心感覚を意識するようになりました。
つまり、その人の最も良い状態にチューニング
するための基準を見つけられたのは、
中に入り込んでいるその人自身でない
インプラントや存在たちのお陰
という風にも言えると思います。
そういう意味では、彼らにも感謝ですね。
セッションの中では、できる限り
その人自身がこの中心を捉えられるように
誘導しているのですが、
自分でないものがたくさん
入り込み過ぎているとか、
入れている状態にまだメリットが大きくて
素の自分に戻ることに準備ができていない人は、
そこまでチューニングが行かない状態で
終わってしまうことはあります。
その人自身がどこまでの段階に来ているのか
ということはやはりあるようで、
私がどれだけ自分自身に帰る
ということについて説こうとも、
なかなか入っていかない人もいるし、
何度かのセッションを繰り返す中で、
少しずつ少しずつ余分なものが落ち、
心の力がついてきて、ついにあるとき、
自分自身の真実に出会う人もいます。
それまでは、どうやっても
自分でないものをわんさか取り込んで、
それを得ることに必死になり、
自分ではない何かになろうと自分を歪め、
虚像の中に自身を見失うことを
繰り返すでしょう。
そういう苦しみをとことんやり尽くしたときに、
やっと、これじゃなかった。これじゃ
どうやっても、どれだけ頑張っても、
自分は幸せにはなれない、と
心底気づくのでしょう。
そういう苦しみを嫌というほど
味わう前に気づければいいのですけれど、
色々な執着や恐れなどがあると、
本道ではない道に自分を追い込んで
しまいがちです。
けれど、中途半端なところで
頭だけで転換しようとしても、
それは難しいので、
結局はその握りしめた執着が
燃え尽きるまで、やり尽くさなければ
ならないのでしょう。
自分を見つけるまで、
すごく遠回りをしているようでもありますが、
自分ではないものをたくさん知ることで、
自分はこれ以外の何者でもないのだ、
という確信にたどり着くのでしょう。
そういう意味では、
もがき続けた日々も、宝ですね。
一度でも自分の中心の感覚がつかめれば、
また再びそれを見失っても、
戻る場所がわかっているので、
それを知らなかった時の自分では
もう既にありません。
中心は、自分が見失うことはあっても、
それ自体が消えることはないからです。
決して消えることがなく、
常に在り続ける基準があるということは、
私たち自身の存在の支えであります。
人生の導きは、まさにこの揺らぐことのない
中心から来るのです。