感情解放のセッションで、
私が常に意識しているのは、
その人の体温を感じるような
本当の思いや感情に触れることです。
人は、様々な理由から
自分の本当の気持ちや思いを隠して
生きていることが多くあります。
表面的には笑っていても、
深いところでは怒っていたり
泣いていたり、心がここではないどこかに
逃げてしまっていたりします。
そういう状態をリーディングすると、
心の裏表がすぐにわかる場合もあれば、
ものすごく深く隠していて、
奥にある元の真実が何なのか、
非常に分かりにくくなっている
ケースも良くあります。
自分で奥の気持ちがわかっている場合は
リーディングしてもわかりやすいのですが、
本人でもわからなくなっているくらい、
自分を偽っている場合は、かなり厚い
封印をかけていることもあって、
それを見つけるまでが結構大変
というケ―スもあります。
掘り下げて掘り下げて掘り下げて、
やっと微かな手掛かりが見つかって、
反応があり、記憶がじわじわと蘇ってくる、
みたいな感じです。
そのくらいに深く記憶の彼方に厳重に
封印されている、ということは、
それだけ深い傷を抱えている
ということでもあります。
たとえるなら、
本当は全身複雑骨折をしていて
今すぐにでも入院して治療が必要なのに、
ガチガチのギプスで固めて、
何でもないふりをしてぎこちなく笑っている
と言った様子でしょうか。
それだけ重症なのだから、
そりゃぁのびやかな自己表現なんて
できるはずもなく、引きつったり
うまく働かなかったりする様々な部分を
自分でもどうしてこんななんだろう?
と不思議に、もどかしく思いながら
生き辛さを感じているのです。
そういうところから
本当の自分の思いや気持ちを取り戻していく
ということは、再びあの深い傷に対峙する
ということを意味しています。
そこに本当に対峙して、癒し、
統合していかなければ、
本来の自分として生きていくことは
できないんですね。
人によっては、その傷に
封印をかけているだけではなく、
それを鎧い、傷ついた自分ではない者に
なっていこうとして異物をたくさん
自分の中に取り込んでいる人もいます。
そうすることで、
ますます自分を見失っていくわけですが、
そのようにして、いくら表面的にそこそこ
うまく行っているように見えたとしても、
自分自身の人生を生きている実感は、
当然のことながら、ほぼないでしょう。
傷ついた自分が、心の奥で
死んだまま閉じ込められているからです。
こういう状態で生きていると、
これはこれでやはり苦しいものなので、
自分は何かおかしい。
自分がわからない。
生きる充実感も、喜びもない。
人間関係もうまく行っていない。
心からの感動がない。
などなどの状態が起こってきます。
そして、いつかどこかのタイミングで、
本当の自分を取り戻したい!
という深いところからの思いが
湧き上がってくるのです。
そうして、かつて閉ざした
本当の自分自身を探求する旅が始まります。
自分すら欺くような巧妙なトリックを使って
隠しているので、自分で仕掛けたそれらを
読み解きながら、かつて自分がやったことと
正反対の道のりを辿ってこれらを
解除していきます。
たくさんの異物を取り込んだ人は、
その異物を一つ一つ外しながら、
自分自身のバランスを取りつつ、
痛みの統合作業を進めていきます。
これは、たとえるなら、
南極の氷が解けて、そこに閉じ込められていた
当時の様々な菌や空気などが空気中に
解き放たれるようなイメージでしょうか。
本当に自分自身に帰っていくに従って、
当時の生々しい自分の思いや感情に
触れて行きます。
それは辛いことかもしれないけれど、
一方で、長いこと感じられなかった
真実の感覚が取り戻されることで、
自分の真の人生が戻ってくる喜びも
あるでしょう。
このようにしてその人が
自分自身の真の感情や感覚を生き始めると、
私はそこに、その人の本当の体温みたいなものを
感じます。
それまでは、何かの膜や板の上から
その人の真実を掴もうとしているような
不自然な感じがして、真実の響きが
伝わってこないんですね。
でも、この体温の様な真実の響きを
感じられるようになると、
セッションが正しく導かれていることを
実感できるのです。
この状態になると、
その人のエネルギー状態も
セッションの初めとはかなり変わっていて、
自身の内側からその人自身の生きる力が
力強く湧き上がっているのを感じます。
自分の人生から逃げているときは、
このように、痛みを癒していく力も
出てこないんですね。
このプロセスがこのようにして始まると、
その人はもう後戻りはしません。
偽りの自分を生きることの不毛さを
骨身に染みて知り、自分の進むべき方向を知って
そういう在り方で生きる喜びを味わったからです。
たとえ、その後に続く癒しのプロセスが
それなりに苦しいものだとしても、
それを避けて生きるという選択は
もはやその人にはないでしょう。
自分の本当の人生を生きるということは、
深い深い喜びなのです。