人生に流れる恩寵と問い続けること

人から言われて、嫌々やることや
頭で必要なのかも、と思ってやることは、
とかく身につかないものです。

本人の中で深くその必要性が自覚されて
腑に落ちているときは、言われるまでもなく
自分から動き出しているでしょうし、
吸収力も違います。

私自身、子供の頃は勉強が嫌で嫌で
苦痛でしかありませんでしたが、

大人になって自分が必要性を感じて
学ぶことは、言われるまでもなく
自分から先生を探してその人のところまで
お金を払って教えを請いに行きましたし、

本を取り寄せて付箋を貼りながら
学んだり、繰り返し動画を見て
そこに込められた教えのエッセンスに
触れようと夢中になって試行錯誤
していました。

たとえその過程で挫折があっても、
自分で選んだ行動の結果ですから、
それがどんなに苦しくとも、
甘んじて受けとりました。

学ぶということの意味が、
押し付けられたものであった時代の
それとは、全く違うんですね。

翻って、大きく見れば、
この人生自体も自ら選んだ学び
そものもであります。

この世界で、何かしらやり遂げたい
と思うことがあったからこそ、
生まれてきたのでしょう。

そんな目的なんて覚えてない、
と思われるかもしれませんし、

自分は嫌だったのに、
無理やり送り込まれたのだ!
という記憶をお持ちの方も、
ひょっとしたらおいでになるのかも
しれません。

けれど、それでもなお、
この世界に生まれ、今ここに在る
という厳然たる事実を
受け身の被害者意識で生きるのか、

あるいは、
主体的に何事かを掴んで見せる!
と思って日々生きるのかでは、
同じ出来事を体験しても、
その人生の意味合いは随分違ったものに
なるだろうと思います。

私たちの多くは、生まれてきた目的を
誕生時に忘れ、それを模索しながら
生きています。

何でそんな面倒臭いことになっているのか、
忘れずに最初からずっと覚えていれば、
苦しい思いをして自分探しなんて
しなくて済むのに。

そう思う方も、多分少なくない
だろうと思います。

この世界で年を重ねるにつれて
自然に導かれていく人もいるし、

随分長いこと、生きる意味が分からずに
彷徨いながら、過ごす人もいます。

人それぞれ、その目的、意味に
再会するタイミングは違います。

その再会の仕方によっても、
物語の質感、味わいは違ってくる
のでしょうけれど、

その人生の展開の仕方は、
毎瞬の自身の在り方の選択によって
決まるのだろうと思います。

その選択の根っこに、
願いや思いがあります。

先日、「人は思い続けたものになる」
の記事でも書かせていただきましたが、
その思いに基づいた選択を日々するからこそ、
願うものに近づいていくのです。

その、人生を導く思いは、
どのようにして湧き上がるのか。

ある部分では、問い続けることで、
またある部分では、ひとえに恩寵によって、
と言えるかもしれません。

前者は、たとえば
自分がこの世で生きることの意味を
知りたい、と願い続ければ、
いずれそれを知るでしょう。

後者は、
たとえば誰か素敵なモデルとなるような
人との出会いによって、自分もあんな風に
人が幸せになる料理を作る人になりたい
と心から誓った、とか、

無常なる世を生きる人々の苦しみを
憐れんで、己の人生をかけて
この人たちを救う!と誓った
お坊さんなど。

自分の深いところからの思いや願いが
湧いてくるのは、ひとえに恩寵
と言える奇跡だと思います。

まだ自分の生きる目的や方向性が
定まっていない人は、ひたすら
問い続ける段階なのでしょう。

それを問い続けることは、
自分を知ることでもあります。

問うことで、今自分が何を求めるべきなのか、
見えてくるものがあるでしょう。

そうしたら、毎瞬それに応えていけばいい。

問いが、自分を導いていくでしょう。

自分の道が途切れたように見えたとしても、
まだ命が続いているのなら、
問い続けることを止めないように。

容易く自分の命を放り投げないで、
まだできることが無いか、
やり尽くしていないことが無いか、
確かめてみましょう。

自分の道を、細く細く制限しないで、
視野を狭めていた大前提をぶち壊し、
もっと自由であることを許してください。

そして、今この瞬間に
まだできることが少しでもあるなら、
やり尽くすことです。

たとえそれが、ただひたすらここいにて、
息をすることであったとしても。

そしてその瞬間、
自分が体験している世界のすべてを、
味わうこと。

そんな人生の瞬間でも、体験のしようによっては、
得難い神聖な時間になります。

自分でその瞬間を、人生を、呪わなければ。

恩寵は、あなたを離れることはありません。

ただ、自分自身がそれに背を向け、
見えなくするだけです。

それは、概念で知るものではなく、
触れることによってのみ、
知ることが出来ます。

問い、歩み続ける中で、
きっとそれに触れる瞬間が
やって来るでしょう。

恩寵とともに在るあなたの人生に祝福を。

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