人間、生きていれば誰でも、
ときに迷い、打ちひしがれ、
いつ果てるともない焦燥感に駆られ、
自分を見失ってしまうときが
あるものだと思います。
そんなとき、現実がとても辛くて、
つい、投げやりになったり逃げだしたり、
ただただ絶望の中で前に進む気力もなく、
うずくまっていたりするかもしれません。
人生を生きる大きなプレッシャーが
とてつもない津波のように自分を襲って
圧倒されてしまっているかのようです。
このように、
私たちが、現実を困難に感じるときというのは、
自分の中のネガティブな感情に圧倒され、
そのエネルギーに飲み込まれている
ときなのです。
実際に、現実が困難である、
というわけではないんですね。
飲み込まれているただ中の本人にとっては、
それは否定のしようのない困難に見えるのですが、
自分の中のフィルターによって、
そのように見えているだけなのです。
感情のエネルギーを理解できないと、
ちょっと実感としてわかりにくいかも
しれませんが、
ご自身でワークをされたり、
セッションを受けたことのある方は
この感覚、よくわかると思います。
どうしようもなく否定的に見えていた現実が、
自分の中に噴き出しているネガティブな感情を
統合した後、まるで違った景色に変化した
あの感覚です。
それまでは、絶対にダメだ、できない、
とか思っていたのに、割とできそうかも?
いける!という感覚になるんですね。
だから、状況のコントロールより先に、
まず自分自身の感情を統合し、
感情のエネルギーが暴走しないように
対処するのが先なのです。
深い絶望や悲しみ、怒りなどの
はっきりした感情は掴みやすいので、
それと気づいたらワークに取りかかるのは
比較的容易です。
(気づきやすいという点ではね)
けれど、そういう大きく強いエネルギーが
大方統合された後、今度はより分かりにくい
モヤっとした感情の靄にいつのまにやら
巻き込まれている、というパターンでの
取り組みが続きます。
私自身の経験で言えば、
そこはかとない不安感に駆り立てられた
焦燥感は、わりと長く引きずった記憶があります。
目の前の思うようにならない現実に
一生懸命対処しようとして奮闘するのだけれど、
結局、対処すべき本体は自身の感情である
という大原則を忘れて空回りしてしまうんですね。
焦燥感は特に気持ちが悪くて、
一刻も早く逃れたいと思うものですが、
その焦燥感から逃げるのではなく、
その方向に意識を向けて、
深く受け止めていくんですね。
この方向転換が、なかなかできないのです。
でも、それができると、
統合プロセスに入ることが出来るので、
程なくしてあれほど自分を駆り立てていた
焦燥感が消えていきます。
そうして初めて、
在るがままのこの自分で大丈夫
になるんですね。
この自分に、くつろいでいられるわけです。
何も現実を変えることなく、
ただ自分の中の感情を収めただけで、
自分の人生を善きものとして受け止め、
リラックスして楽しめるようになります。
そういう自分でいると、
現実は勝手に変化していきます。
あれほど奮闘しても何も変わらなかったのに、
いつの間にやら問題は消え、この現実で
笑って過ごしている自分がいる。
そんな感じになります。
まるで、魔法の様ですね。
目覚ましい奇跡のようなことが起こって
パーッと変化するのではなく、
全てがごく自然に移行して、
以前からそうでしたけど何か?
みたいなすました顔をして普通にゆったりと
過ごしている、という具合になります。
目の覚めるような神秘体験ばかりが
奇跡なのではないんですね。
あなたの中の未完了の感情のチャージが
どのくらいあるかによって、
ワークの内容の重さ、軽さの質感も
随分違ってくるでしょうが、
誰と比較することもせず、
ひたすら自分自身の歩みを追究して
いかれますように。
私たちは、たとえ心がボロボロになって
折れていても、そこから復活していく
潜在的な力を持っています。
あなたがもし今その状態なのだとしたら、
きっとそのような奇跡的な復活劇を
自分自身で体現して見たかった
のかもしれませんね。
そして、それを成し遂げたあなたは、
後に続く人たちの希望の光となるでしょう。
あなたが今その場所で味わっている感情は、
あなた自身に受け止められ、
統合されていくために
浮上している感情たちです。
どうぞ、それらから逃れようと
背を向けるのではなく、向き直って、
お迎えに行ってあげてくださいね。
そのことが、あなた自身の道を開くでしょう。