これまで、このブログでは
自身の真の力につながり開くこと、
そしてそれを適切に使いこなしていくこと
について、様々な角度から繰り返し
お伝えしてきています。
力を求める人は多いけれど、
力を得ていくプロセスや使っていく段階で
魔に足元をすくわれていく人は
古今東西、枚挙に暇がありません。
セッションしていても、
大体人が運命のネガティブスパイラルに
堕ちていくのは同じようなパターンで、
人類というのは学ばないものなんだな
と思うのと同時に、
逆に言えば、そのパターンを深く理解し、
自身の心の隙をマスターしていけば、
魔を寄せ付けることはありません。
だからこそ、魔に飲み込まれずに
大きな力を使うためには、
自分自身の闇を深く深く見つめていくことが
絶対的に必要不可欠なのです。
魂の中に、力を誤用したり、
力にまつわるネガティブな記憶を持つ人は、
力を使うこと自体を封印する傾向があります。
正しく力を使えないのがわかっているので、
自身に許可が出せないんですね。
そうして、利き腕を切り落とされたように
無力感に苛まれ、自尊心を挫かれている人が
たくさんいます。
けれど、そんな状態で居続ける他にも、
道がないわけではありません。
正しく力が使える自分になれば
良いのです。
そのためには、なぜ失敗したのか、
動揺や痛みの感情を適切に統合しながら
その場面に再び戻り、対峙します。
自身の在り方を正して
魔に引っかかる種である心の隙を
しかと埋め、もう二度と魔に魅入られない
自分を確立するのです。
それは、単に失敗した自分を封印して
そうならないようにしよう、
というやり方では根本的に種は消えず、
必ず繰り返してしまいます。
そのようにしている人は多いと思いますが、
それではダメなんですね。
完全に種が統合できていれば、
力を開くこと、使うことに対する
不安や抵抗は消えていきます。
そのような在り方の裏付けがあって初めて、
自分自身に許可が出せるのです。
口先だけで許可します!と唱えたところで
封印が解けたり扉が開いたりするわけでは
ありません。
そうなっているのも、ある意味、
自分を守るためなんですね。
適切に力が使える自分が整ってきた分だけ、
力が開示されていきます。
そしてまた、
今度はその力を使いこなしていくための
修練の段階が始まります。
力はただ単に持っていれば使える
というものではなく、有効に使いこなせる
技術や精神の力が成熟していないと
大した効力は発揮できません。
こういうのはどんな分野にも
共通して言えることで、
たとえば、
ヴァイオリニストがストラディバリを
持っていればすごい演奏が必ずできるか
というと、楽器から本当の音を引き出すためには
プロが毎日何時間も楽器に向き合って、
5年はかかると言われているそうです。
軍隊でも、最新鋭の設備を持っていれば
絶対に強いかと言えば、
決してそんなことはないですよね。
結局は、力を使う人間の問題なのです。
ここまで読んでこられて、
力を使うというのはそんなに大変なことなのか
と、ちょっと気が遠くなった人も
あるかもしれませんし、
逆に、よおし!と奮起なさった方も
あるかもしれません。
あなたがどの程度の力を使いたいと
思っているのかわかりませんが、
今書いているのは、
そこそこ自分が楽しくいられる程度のもので
十分という方に向けた文章というよりは、
本当に自身の力を自分という個を越えて
この世界のために使っていくことを
己の魂に約束してきている人に向けて
書いています。
そういう人は、ある意味
自身の力に対して、プロでなければならない
と私は思っています。
それは歌でたとえれば、
ちょっと歌がうまくて仲間内からも
一目置かれる人、みたいな感じではなく、
本当に人の心に深く届き、
ときに励まし、ときに慰めるような
魂の歌を歌える人では、
根本的に在り方が違うでしょう。
後者のような人にとって、
授かった力というのは、自己満足のための
ツールではないんですね。
それを通して己を磨き、
世に奉仕する神聖な道そのものなのです。
そういう意識で力と自分自身に向き合ったとき、
エゴはその神聖な道の中に溶けていき、
昇華されます。
力を開くこと、使うことを恐れることなかれ。
正しく力を使う己を養うべし。
あなたの内の、神聖なる力に祝福を。