苦しいこと、辛いことは
誰だって嫌なものですが、
そういうものを感じないようにするために
私たちは実に様々な方法で
それらから逃れようとします。
無かったことにする、
蓋をする、
責任転嫁する、
すり替える、
自分の意識をどこか別のことろに避難させる、
他人事にする、
事実を認めない、
感じる感覚自体を閉ざす、
などなど。
まぁ、色々な方法はありますが、
目的とするところは一緒で、
苦痛から逃れることです。
苦痛を避けるというのは、
生物としては生存本能の自然な反応であり、
それ自体が悪いわけではありませんが、
感情のエネルギーという視点で見ると、
処理の仕方が適切でないと、
後々問題が大きくなったり
長引いたりする原因になります。
上記に挙げたような逃避行動は、
感情のエネルギーに根本的に対処
しているわけではなく、
一時的な先送りであり、
エネルギーそのものは残っています。
けれども、顕在意識的には
そこそこ苦痛の感覚が和らいだり
消えたように感じるので、
それ以上対処しようとしなくなります。
実際、頭では終わったことになっていて、
その影響を無意識レベルで受け続けている
にもかかわらず、自分でその原因が
わからなくなってしまっている
というケースは非常によくあります。
感情解放のセッションでは、
様々な逃避行動で適切に処理されなかった
感情のエネルギーを掘り下げて見つけ出し、
完全に消化、昇華されるように
呼吸を使って統合していきます。
そのプロセスを誘導していて
よくあるのは、
本人がその出来事、自身の側面、感情を
認めないが故に、統合が不完全に
なってしまうケースです。
これは見ていると大体わかるので、
何度も繰り返しアプローチし直して
ちゃんと受け止められるように
誘導していくのですが、
そのセッションの時間中に
どこまで受け入れがたいものを
認められるかは、
最終的には本人の意志がすべてです。
絶望も惨めさも悲しみも
言いようのない無力感や虚しさ、
逃げ出し、消えて無くなりたいような
居心地の悪さ、苦しみも、
それを統合していく方法は
お伝えし、伴走することはできますが、
そんなものは絶対に受け入れない、
それを癒していく自身の力を信じるよりも、
それに触れたら自分はお終いだ
という恐れの方を信じることを選ぶのなら、
いかに私がそのプロセスに導こうとも、
統合が起こることはありません。
口先だけ、頭だけでやろうとしても
統合は不可能で、
それは、これまで拒絶し続けてきたものに
実際に触れ、この心と体で生き、
受け止めることを体現することでしか、
成しえないのです。
私ができるのは、
それを安全に行う方法を誘導することで、
私が代わりにやってあげられる
わけではありません。
このプロセスの中でかけていく
たくさんのヒーリングエネルギーですら
補助的なもので、
本人の在り方ができていなければ、
大した効力は発揮しません。
つまり、どんなに傷が深く、
混乱していて自分が無力に感じたとしても、
真に自分を癒せる存在は、
自分自身をおいて他にいないのです。
様々な方の感情解放のセッションをしていて
しばしば感じるのは、
人が最も恐れ、逃げようとしているのは、
自分自身に力があるということを
認めることである、とつくづく思います。
あんなにも無力で無能で惨めな自分、
辛くて苦しいのが嫌で逃げ回っているのに、
本当は、自分には力があるのだ
と認めることを、それ以上に拒絶し、
その自分から猛ダッシュで逃げていくのです。
冗談だと思われるかもしれませんが、
本当にそうなのですよ。
私は繰り返し、あなたの中には
真に素晴らしい力がある、
とお伝えし続けてきていますが、
そうなのかな?全然信じられない、
と思う方も、多分少なくないと思います。
そうだったら嬉しいけれど、
どこか絵に描いた餅というか、
現実味がない、というのが
正直な実感かも知れません。
そういう人が、
本当にそうなんだろうか?と
真に自分に向き合い始めたとき、
途端に恐れが湧いてきて、
まともに自分に対峙できなくなったりします。
それに耐えきれなくて、
どうせ自分にはそんなものないさ、とか、
絵に描いた餅のポジションに
逃げていくのです。
その方が落ち着くんですよね。
でも、慣れ親しんだ地獄に落ち着いても、
そこはそれ以上の楽園にはなりえません。
その恐れに肚を決めて対峙して、
越えていくしかないのです。
そうやって一人、真摯に自分に向き合い、
歩み続けた人だけが、
本当の自身の力に出合っていくのです。
そういう人が放つ
美しさ、力強さ、優しさ、気高さ、清々しさは、
実に味わい深いものがありますね。
さて、あなたはどんな自分で在ることを
選びますか?