私たちは、どんなに正直者であっても
しばしば自分を偽るということをします。
他者を騙すためであったり、
ときには、自分を騙すこともあるでしょう。
他者を騙すときは、多かれ少なかれ
自覚を持ってすることが多いと思いますが、
自分を騙すときは、自分が気づけなくなって
しまうため、厄介です。
騙す者が騙される者でもあるって、
何だかややこしい話ですが、
自分自身に向き合う作業をしている時、
これをいかに認識に上げていくかというのが
結構課題になるんですね。
私たちの意識は、都合の悪いものは
意識の外に飛ばしてしまうなんてことは
お茶の子さいさいでやってのけますし、
どれだけ目の前に突き出されても見えず、
明確に伝えられても聞こえず、
手を引かれても錯乱して逃げていくのです。
それでいて、自分は見たいし聞きたいし、
そこに導いてほしいのだと言う。
何とも手のかかることですね。
さぞや、お導きくださっている
有形無形の存在たちも、
手を焼いておられることでしょう。笑
本当に気づきたいのなら、
自分が目を閉じていること、
耳をふさいでいること、
喚き散らして受け取る態勢にないことを
知って、認めなければなりません。
ここで、本当は自分が何を望んでいるのか
というのが問われるんですね。
深いところで、知りたくもないし
認めたくもないと思っている場合は、
素直にそれをそのまま認めてしまえば
何らこじれることはないのですが、
そう思っている自分すら欺いて
自分は知りたいし、変わりたいのだと
頭で思い込んでいたりします。
時には、そのことが固い信念となって
長年抱いていたりすると、
様々な体験の蓄積とともに
アイデンティティの一部にもなり、
覆すのが非常に困難になることが
あります。
それを越えていくのは、
ひとえに自分自身への誠実さ、
真実を何よりも優先できるかどうか
なんじゃないかと思います。
自分を偽ることで積み上げ、
得てきたものすべてを引き換えにしても、
自身の真実を取るのかどうか。
それが安い代償と感じるか、
べらぼうに高すぎる犠牲だと感じるかは
その人次第でしょう。
自分自身に誠実で在ること、
正直で在ることは、
ときに非常な勇気を必要としますね。
誠実さと正直で在ることは、
格好よくすごい能力があって
周囲から称賛される自分で在ることよりも、
重要で価値あることだと
私は思っています。
頭とハートと肚が一致するようになるほど、
葛藤は消え、意識のノイズが減って
人生はシンプルに、楽しく喜ばしいものに
なっていきます。
問題が起こったとしても、
真実の基盤があれば、
解決への道筋は明確に示されます。
けれども、自分を偽った時に、
その歪みは、その時は一見平和に切り抜けた
ように見えても、後々、大きくなって
挽回しなければならない非常に困難な課題として
返ってくるでしょう。
小手先で誤魔化して、
安心しないことです。
向き合うべき時に勇気を奮って
真実を絶対の基準にして
向き合うこと。
その方が、その時は辛くとも、
後々心は安らかで、後悔がないでしょう。
そういう選択と行動をするには、
一朝一夕にはなりません。
日頃から、小さなことから大きなことまで
自身の胸に照らして、自分が何を感じ、
何から逃げ、何を求め、どう行動しているのか
ということに丁寧に向き合っていなければ、
ここ一番というときに、
取るべき選択が取れないんですね。
だから、自身の内の矛盾や偽り、
認識の死角に気づく努力をしていくことが
大切です。
自分の内側がそういうものでいっぱいで
混乱しているほど、有形無形のよからぬ者に
介入される隙を作ることにもなるので、
健康な心身のためにも意識していかれると
良いでしょう。
大抵、自分を騙すのは、
受け止め難い何かから逃げるためです。
それを受け止め、適切に対処することが出来る
自分であるなら、自身を偽らずに
済むようになるでしょう。
逃げて問題を避けるテクニックを磨くのではなく、
逃げずに対処できる力を身につけていきましょう。
そうすると、あなたはとてもパワフルで、
健全な自尊心に溢れた輝きを
取り戻すでしょう。
逃げている限りは卑屈さと後ろめたさが
ついて回ります。
よくよく、自分のしている選択の意味を
受け止めることです。