今年は年頭よりそこそこ負荷のかかる
チャレンジを自分に課しているのですが、
昨日の自分より今日の自分、
今日の自分よりも明日の自分が
少しでも成長出来ていたらいいな
と思います。
これが続けられたら、
1週間でも変化は感じるだろうし、
1か月もすれば、かなり定着
してくるでしょう。
人は、いくつになっても
成長できます。
小さな子供の成長は日々目覚ましく、
その変化のスピードに驚くことが
多いのですが、
大人になってからの成長は、
子供の様なわかりやすいものでは
ないものの、違ったレベルで
また違った新鮮な驚きがあります。
ただそれも、本人の意識設定次第
というところは大きく、
本人が望まなければ、退化していく
ばかりでしょう。
子供の成長が目覚ましいのは、
目標が明確だからかもしれません。
ハイハイから立ち上がる、歩く、
走る、トイレが一人でできるようになるとか
ごはんがちゃんと食べられるようになる、
歌ったり踊ったり絵をかいたり
というように、
人間として社会生活が送れるよう
これが出来て当たり前、くらいな意識で
周囲も接し、教育しますから、
子供もそれに促されて
自分の中の力をそのように向けて
出来るようになろうとします。
一方、大人になると、
そういう目標設定は自分でしなければ
いけません。
様々な人生経験の中で味わった
数々の挫折や成功体験で、
自分にできること、苦手なこと等の
輪郭も描いていますから、
得意を伸ばそう、苦手の限界を
越えていこうと自ら思わなければ、
子供の頃の様に無心で
自身の内から力を振り絞ろうとは
なかなかしなくなるように思います。
そういうモチベーションが
いかにして奮い立たせられるか。
やらないと仕方ないから、
という理由だとなかなか腰が重いし、
頭でっかちな不完全燃焼になりがちですが、
ポジティブなやりたい!という思いが
湧いてきたのなら、上手に焚きつけて、
自分を駆り立てていったらいいと思います。
よからぬ者に異心や邪心を掻き立てられる
こともあれば、自身のために、
進もうと思う方向に駆り立てていくことも
できるわけで、
そういう意味で、自分の心を
いかにうまく導いていくかは
とても大事ですね。
心は揺らぎやすく、染まりやすいものです。
それが良いとか悪いとかではなく、
そういうものなのです。
だから、自分の意識の届く範囲に
どのようなものを置くか、
何に触れ、何を避けるのかには
注意深く在ることです。
知らぬ間に、大きな影響を受け、
人生を左右するような
結果をもたらすこともあるからです。
それが良いものならば
進んで大きく影響を受けたら良いし、
そうでないなら、極力触れないように
自身の周囲から排除すべきでしょう。
人生、色々な経験をするのは
良いけれど、自分がどんな状態で
どんな風に経験したいのかも
よくよく吟味することです。
どっぷり浸って体験することもあるし、
ちょっとだけ、垣間見させられる
ということもありますが、
自分が望んでもいないことに
わざわざ大きな労力をかけて
付き合うこともないでしょう。
望まないことならば、
そこに差し出された学びがあるなら
素直に受け取り、完了させ、
そこまで深くないなら
軽やかに去りましょう。
この肉体を持って生きる人生には
タイムリミットがあるのです。
日常のルーティンを生きていると
忘れがちですが、
人はみな、100%死ぬのですから、
肉体のある内に何を体験しておきたいのか、
優先順位をはっきりさせておくのは
良いことだと思います。
自分の人生で大事にしたいもの、
それほど重要ではないもの、
あまり関わりたくないものを
自分と良く対話しながら、
主体的に選択しましょう。
全てを受け入れなければいけないわけではないし、
拒絶していけないわけでもないのです。
そういう基準を自分で持てない人が
しばしばいらっしゃるのですが、
それでは自分の人生を生きることが
できません。
自分にとって大事なものを自分以外の誰かが
決めることが許すというのは、
まだ判断能力のない子供ならまだしも、
聖人であるなら、あまり健全な状態では
ないかな、と思います。
自分にとってどうなのか、
それを自分で判断したうえで、
現状に適切に応答しましょう。
人生をどれだけ有意義に、充実させるかは
常に自分軸に基づいた判断と選択が
あってこそです。
言い訳をすればどこまでもできるけれど、
それが本当に望んでいることなのか。
望むことをするために、
できることはやり尽くしたのかどうか。
力の出し惜しみをしないで、
まだ使っていない自分の力を
奮い立たせてみてはどうでしょう。
あなたの可能性に祝福を。