ものごとがそうなっているには
そうなっているなりの理由があり、
事情がある、と私は常々
お伝えしてきているのですが、
何かを変えていきたいと思うとき、
その理由や事情を知って、
きちんとそれに対処することが
大切だと思っています。
そういうことをしないで
無理やり変えようとしても、
今度はその事情が宙ぶらりんになり、
整合性が取れなくなってしまって、
結局、また別のそれを補う何かを
作り出すことになってしまうでしょう。
そうして生み出されたものは、
やはり求めていた理想にとって、
そぐわないものになることが
多いのではないでしょうか。
変えよう変えようと頑張っても
なかなか変わらないのは、
そういうところへの目配りが
足りていないのではないかな、
と思います。
現状がいかに理想とはかけ離れたもの
であったとしても、そこから得ている
メリットが全くないのかどうか。
頭で考えると、絶対にない!と
あっさり言えてしまうものですし、
理想が叶った時のプラス面ばかりしか
見ていないのですが、
その裏で、どこか空回りしていたり、
実は不安感など、ざわつく気持ちを
握りつぶしていたり
ということがよくあります。
自分に向き合う作業をしているときは、
いかに理想を情熱を持って語れるか
ということよりも、
この裏でひっそり湧き上がっている
理想の実現を妨げる方向の感情に
注意を払うことの方が
ずっと重要なのです。
こうした声は、とても小さく思えますが、
実は裏ではとても大きな力になっていて、
徹底的に理想の実現に抵抗する
無視できない強い意志を持っています。
けれども、頭でっかちに
理想にかき立てられた意識にとっては
非常に都合が悪いので、敢えて
そんな声は聞こえないようにして
アクセルをふかしているのです。
こうなってしまうと
自分の中で分離と葛藤が起こって
決してうまく行くことはありません。
だから、
こういう分離や抑圧が起こっていないか
注意深く自分の状態を見つめることが
必要なんですね。
けれど、理想とは離れていく方向の声に
耳を傾けるのは、そう簡単ではありません。
なぜなら、そんな声を聞いていたら、
願いが叶わなくなってしまう!
という恐れに直結するからです。
そうなると、叶わなかった時の
絶望感や焦燥感、無力感や惨めさなどの
感情が一気に浮上してくるので、
とても苦しいし、それが恐くて
仕方がないわけです。
だから、ニュートラルに声に耳を
傾けることが出来ない。
それに耳を傾けられるようになるには、
浮上してくる苦しい感情を統合する
必要があります。
そうすれば、
声を聞いてもそれほど苦しくなくなるので、
自分の都合を何が何でもごり押ししたい衝動
からも自由になって、よりニュートラルに
声を聞けます。
そうしたときに、
初めて見えてくる景色があり、
可能性の扉があるわけです。
そういう在り方は、
ただ口先で相手の声を聞いているふりをして
本心では、どうやって相手を
自分の思う方向に同意させるか
しか考えていないようなものではなく、
相手の立場も気持ちも自分のそれと
同様に受け止めているので、
対立しておらず、
分離のない、一つの眼差しから
その状況にとって最も良い道筋が
見えている状態になります。
そういう眼差しの在り方になるまでに、
繰り返し、自身の心に浮上する
抵抗の奥にある恐れを見つけ、
統合していく作業をします。
こういうプロセスをするとき、
セッションでは、自他の意識を
行ったり来たりしながら、
自分だけの視点からは捉えられない
相手の気持ち、事情、本当に避けたいもの、
ニーズなどを汲み取っていくんですね。
どんな存在も、
自身の思いを握りつぶそうとする者には
抵抗を示すものです。
それは、他者であっても、
自分自身であっても同じです。
こういう分離を作らないように
ものごとを進める度量というのは、
自分の中でどれだけ不安や恐れの
奥にあるものを統合できているか
ということに直結しています。
ごり押しするような人は、
それだけ、自分の都合が叶わなかった時の
恐れや不安の未完了のチャージが大きい
ということが言えるでしょう。
未完了の感情のチャージを完全に
統合できると、肚が据わり、
どっしりとした軸が持てるので、
現実的な状況をしっかりホールド
できるんですね。
的確にその状況を見て応答できるという
この感覚は、自分自身にとっても
非常に安定感と自信をもたらします。
これが、自身の健全なパワーの
感覚ですね。
パワーを感じるために、
姑息な細工や搾取は必要ないのです。