人間、誰しも生きていれば
幸せで輝いている時もあれば
傷つき、落ち込んで死にたくなるほど
辛い時もあります。
慈愛に溢れている自分もいれば、
憎しみや嫉妬に身を焦がし、
怒りで気が狂いそうになる時もある。
山があれば谷もあり、
光もあれば闇もある。
それが当たり前。
けれど、私たちの多くは、
光や山は評価すれど、
谷や闇は忌み嫌う。
そうなってはいけないもの、
という価値観を持っています。
ず~っと山で在りたいし、
光で在り続けたいのです。
でも、息を吸い続けるのは好きだけれど
吐くのは嫌い、などと言っては
いられないように、
それらは表裏であり、
両方があって、一つのものなのです。
どちらか一方だけが良くて、
他方が絶対的に悪いというわけでは
ないのですが、
輝きながら活躍している自分と
落ちぶれて精彩のない自分を
同じように評価し、受け取るのは
なかなか難しいことでしょう。
後者の自分をどうにかして
前者にしようともがき、
うだつを上げようと躍起になるのです。
けれど、本当に力強く輝くには、
反対の自分を大事にしてあげないと
いけません。
受け入れがたい自分を受け入れたとき、
自分の器がぐんと大きく育って
スケールの大きな人間になるからですね。
それは素敵な変容の錬金術なのですが、
大抵は闇を拒絶して光に向かい、
良くなろうとするので、
余計に闇が深くなるのです。
セッションでも、
自分が拒絶しているものを
受け入れられるように様々な働きかけや
お話をしながら誘導していくのですが、
どれだけ説明しても、
闇を受容し統合することを拒絶して
「良く」なろうと頑張ってしまう人が
います。
それだと絶対に空回りするし
うまくいかないと言っても、
分かったようなふりをして、
それを止めようとしないのですね。
そうなると、
私にはどうしようもないのですが、
後はご自身で極限までそれをやり続けて、
やっぱり駄目だった、と気づくまでは、
方向転換は難しいでしょう。
誰しも、本能的に闇を恐れるものです。
絶望したくないし、
悲しみや怒りに暮れたくないし、
切なく苦しいのは嫌なのです。
でも、それも人生の一部ですから、
それを切り離して消そうとすると、
人生をずたずたに切り裂いて、
ひどく歪な人生になってしまいます。
例えば、
人は、傷つきたくないと言って
弱さを否定し、強くなりたい人がいますが、
そういう人はしばしば、
傷つかないように心に厚い鎧をまとい、
感覚を鈍くして細心の注意を払って
傷つける敵を先回りして徹底的に破壊し、
安全と思える道を精査しながら
歩むような人生になります。
そういう人は、
本当に強いと言えるのでしょうか?
たとえ人生で深く傷つくことがあっても、
それを在るがままに受け止めて、
そこからなにがしかの学びを得、
自身の糧として、再び立ち上がる力が
自身の内に確かにあると感じられる
人の方が、ずっと強いのではないかな、
と私は思います。
傷つかないように生きるのではなく、
傷ついてもちゃんと自分で癒せるし、
自分に嘘をつかずにいて大丈夫だと
言える方が、のびのび人生を
生きられるのではないでしょうか。
このように、
ある状態を拒絶して大丈夫にするのではなく、
どんな状態も問題にはならず、
大丈夫な自分でいるというのが
感情解放ワークで目指す在り方なのです。
怒りも悲しみも憎しみも嫉妬も絶望も、
深く感じて大丈夫。
飲み込まれて立ち上がれなくなることもなく、
それらがあっても、なくても
自分は自分でいられる。
深い闇から立ち上がれる自分で在るほど、
闇は恐いものではなくなっていきます。
むしろ、闇が深いほどに、
そこから立ち上がった自分の光は、
強く深いものになるのです。
だから、今のその苦しみも、
あなたの中の強さや美しさ、力を引き出す
糧になります。
さて、あなたはどれだけ
その苦しい状況の中で、自分を信じられるでしょう?
差し出されている、有形無形のサポートや
愛を受け取れるでしょう?
その一瞬一瞬が、チャレンジなんですね。
絶望に飲み込まれるのは簡単です。
でも、そこには
飲み込まれずにいる選択もあるのだと
覚えておきましょう。
あなたのチャレンジに、祝福を。