セッションで様々な方の意識や
エネルギー状態をリーディングするのですが、
しばしば、体はここに在るのだけれど、
心がここに居ないという状態の方に
出会うことがあります。
これ自体は
それほど珍しいことではないのですが、
心がここではないどこかに行っている、
と一口に言っても、その出張の仕方は
様々なパターンがあります。
今日は、この意識の出張パターンについて
書いてみます。
身体はここに在っても心がここに居ない
というのは、私たちも日常的にそういう人に
遭遇しているし、自分でも体験している
と思います。
たとえば、
ものすごく退屈な会議や授業に出席
していなければならないとき、
私たちはどこか上の空で、目の前の演者が
話している内容などとは程遠い、
マインドの世界をさまよっています。
あるいは、
誰かと話をしていて、聞いているはずの
その人がまるで話を聞いていないで
違うことを考えていたりすれば、
気づきますよね。
こういう状態になるのは、
今ここに居ることが辛いので、
身体を残して意識だけがどこか別のところに
脱出してしまうからです。
虐待など、極端な恐怖を味わうような状況でも
起こりますし、強烈なストレス下においても
起こります。
通常は、その苦しい状況が去っていけば
大体元の体に戻ってくるのですが、
日常がストレスの連続であったりすると、
段々、意識が体にしっかり戻らなくなります。
微妙にずれた状態が
通常モードになっていることもあるし、
自分は出張したままで、お留守になった自分に
別の存在を住まわせている人もいます。
(要は、エンティティとの賃貸契約ですね)
出張先や仕方もバリエーションがあって、
天井とかその辺に居る場合もあれば、
別の次元に飛んでいたり、複数の別次元に
同時に飛んでいる人もいます。
いずれにせよ、ここに居ないことの動機が
逃避なので、その人にとって
今ここは危険なところ、辛いところである
という認識は共通しています。
これ故、
いくら多次元に意識を飛ばしていたとしても、
これはワンネスに近づいているわけではなく、
むしろ、分離を深めていると言えます。
そして、これとはまた別に、
自分の心の一部をどこか別のところに
置いてきてしまっている場合があります。
これがいわゆる、心の置忘れというやつで、
多分、誰しもに多かれ少なかれ、
こういう経験があると思います。
例を挙げると、
かつて愛した人のところに
自分の心を置いてきてしまっている人。
幸せな時代を過ごした故郷に
置いてきている人など。
そこまで深い思い入れがなかったとしても、
ちょっとした印象を残した人や場所に
置いてきてしまったりするケースも
よくあります。
大体は執着のような心の動きに伴って
起こっていることが多いように思います。
こういう心の置忘れの場合は、
ちょっとしたものであれば、
気づいて回収すればそれで済みますが、
強い執着とともに起こっている場合は、
執着している存在によって
支えていたり埋めたりしている
欠乏感や不足感、淋しさや無力感などを
自分自身でしっかり統合しないと、
回収しきれないように思います。
というのは、
その場所や相手の中に置いてきた
心の一部によって自分とその対象をつなげて
エネルギーを得たり自分を支えているからです。
だから、これを断ち切るのは、
自分で自分を支えられるようにならないと、
断ち切り、回収したつもりでも、
なかなかきれいに回収しきれないのです。
未練が断ち切り難いのは、
そういう理由があるんですね。
断ち切る前に、
自分でちゃんと立てるようになれば、
そういうつながりは不要になり、
自然に切れているものです。
自分で立つには、
まだ立てていない自分を認めることが
先決です。
自分で立ててないことを認めもせず、
わかっていないのに、先に進もうとする人が
多いですが、自分がなぜ立てていないのかも
わからないのに、どうやって立つんでしょうね。
誰に、何をどのように支えてもらっていたのか、
自分がどれだけ自分を見ておらず、
信じておらず、背を向けて、
他者のエネルギーや可能性を貪ってきたのか、
知らねばなりません。
手っ取り早く安易にエネルギーを外部調達
するのではなく、自分自身の真の力を
しっかり使えるようになりましょう。
それが出来れば、
今ここに居ても大丈夫になりますし、
シンプルに自分自身でいられるようになります。
あちこちに心の置忘れをしている人は、
根本的には逃避と依存のテーマを
クリアにすることが肝要です。
あなたの中には、まだまだ
汲み上げていない可能性があるのですから。