セッションをしているとき、
私はいつもその方の様々な意識の状態を
リーディングしながら追っているのですが、
ちゃんと誘導についてきているかな?とか、
どこにどんな風に意識が向いているのか
とかいうことの他に、その人の意識の質
自体も見ています。
初めての方のセッションで一番見ているのは、
実はその意識の質だったり使い方
だったりします。
感情解放のセッションでは、
最初の導入部分の誘導で、
その辺りのことは大体わかります。
普段から瞑想をされたりしていると、
瞑想を日課としている方特有の意識の質感
がありますし、
ヒーリングを学んで実践されている方であれば、
意識のフォーカスの当て方や密度、深さなどで、
どのくらいエネルギーを使えているのかが
読み取れたりします。
初心者だと、まだ捉えられるエネルギー領域が
あまり深くはないので、意識は割と表面
浅い部分を漠然と、ふんわりと捉えていますし、
そこそこキャリアのある方だと、
その辺りがこなれてきてさらに深いレベルに、
ピンポイントで的確に対象を捉えて、
エネルギーもしっかり入っている様子が
読み取れます。
意識がより深いレベルに触れていくようになるには、
何をおいても、自分自身に向き合うことが
絶対的に必要だと私は思っているのですが、
ろくに自分に向き合うこともしないで
それができるようになることは、
まずないんじゃないかな、と思います。
なぜかというと、
対象の深いレベルに触れるということは、
そのレベルで見えてくるものに対峙できるだけの
実践的な精神の力が必要だからです。
たとえば、相手の中に深い絶望や怒り、
憎しみなどが見えたとして、
それに対処できる自分でなかったら、
触れる前に、怯んでしまうでしょう。
だから、そういうものがありそうな気配を
察知すると、無意識にもその部分を避けて、
見えなくしてしまうのです。
これが、心の死角になります。
そうなると、ヒーリングとしては
その部分への対処はできないことになります。
ある部分の視野だけ欠ければ、
その部分だけが穴として残りますが、
全体的に人の深い心情などに触れることが出来ない
となれば、そういうものが出てこない
浅いレベルのヒーリングになってしまうのは
必然なんですね。
そういうものに対処できるようになりたければ、
自分自身の内にある、同じもの、つまり
怒りや憎しみ、深い絶望などを統合していないと
いけません。
自分自身のそれらに対処できれば、
相手の中に見えたそうしたものを恐れたり、
引きずられたり巻き込まれたりすることは
なくなります。
自分自身を保ちながら、適切に
為すべきことを為すことが出来るでしょう。
これは、何もヒーリングをする人だけに
言えることではなく、ごく普通の
人間関係にも言えることです。
親子や夫婦関係、友人や職場の人間関係なども
例外ではありません。
お子さんの苦しみに心に寄り添える親であるには、
自分の中にある、同じ苦しみを統合しない限りは
本当にお子さんの気持ちに触れ、受け止める
ことはできません。
いつもはぐらかして逃げ、上っ面だけの
体裁を気にするばかりで、起こってくる
出来事のいちいちに右往左往するばかりでしょう。
自分自身の様々な苦しみを統合するにつれ、
自分の軸がしっかり取れるようになり、
意識もぼんやりと曖昧な質感だったものが、
しっかりとしたものになっていきます。
こうして、向き合うべきものに怯まず、
踏みとどまって対峙できる精神の力が
育っていくのです。
これ故、意識を見るだけで、
今その人がどんな在り方をしているのか
というのがおおよそ、見えてきます。
日頃から、逃げずに真摯に自分に向き合っている
人の意識は、す~っと深く通っていく
確かな質感があります。
一方で、逃げ癖のある人の意識は
それがなく、鈍くくぐもった質感になります。
統合すべき未完了のものがたくさんあるから
響きも鈍くなりますし、意識のフォーカスが
うまく定まらないからなんですね。
このように統合が進んでいった意識だからこそ、
読み取れるようになる情報というのがあって、
それは、そういうものに触れても大丈夫
になったからこそ、開かれる感覚です。
だから、サイキックな力を開きたい
と思う人は、ただ第3の目を開くだけではなくて、
開いたときに起こることに対処できる自分を
整えるという認識でいると、そう間違った方向には
行かずに済むんじゃないかと思います。