以前、第三の目を開きたいという
方に対して、そこだけ開こうとしても
ダメだよ~って話をどこかで書いたのですが、
セルフワークを通して自分の体の
エネルギー状態を観察していて、
喉や胸の詰まりを解消しようとしても、
そこだけやってもダメなのだな、
ということをしみじみ感じました。
喉を開こうと思ったら、
そこを開いたときにエネルギーが流れていく先の
ビンドゥーチャクラや脳の様々なところの
状態を整えておかなくてはいけないとか、
そこを開くためには第3チャクラで
そのエネルギーをしっかり支えられる
状態になっていなければいけないとか、
さらに第2、第1チャクラ、さらに
脚、膝、足、グラウンディングチャクラ
までつながるエネルギーの流れを
見なくてはいけないとか、
全部つながっているんですね。
そして、一か所開くために
どこをどう見たらいいのかというのも、
その詰まっている部分の状態とか、
開いていった先のエネルギーの流れを
よく観察していれば、わかってきます。
様々なところを同時進行で
見ていかなければいけなかったりして
なかなか忙しいですが、
人体というのはこんな風になっているのか、
という驚きと発見の連続で楽しいです。
エネルギーが詰まっていたり、
その部分の認識が欠けているというのは、
そこがうまく使えていないわけです。
だから他に負担がかかって、
無茶な使い方をしてしまう。
そしてそのことが、
能力を伸ばそうと思った時の
障害になるのです。
その障害一つをクリアするために、
そこだけ直せばいいのではなく、
構造的に、どこにも無理がかからない
在り方を全体として見つけていかなければ
いけないわけです。
今まで使えていなかったところ、
エネルギーが流れていなかったところを
使うようにして、エネルギーが流れていく
ようになると、その部分の意識領域が
広がります。
認識の世界に、それまで存在しなかった
空間が現れるようなものです。
そこが認識できるようになると、
その領域も使えるようになるので、
対象の捉え方が変わってきて、
結果、パフォーマンス自体も変化します。
こういう領域が認識できるのかできないのかで
エネルギーワークであれば、エネルギーの
届く深さや広さも変わってくるのは
必然でしょう。
体でも、一部が使えなかった時の動きと
使えるときの動きでは全く違ってくるのと
同じことです。
そして、そういう地力の下地の上に
ようやくできるようになることがあります。
私自身に関して、何年も前から
何となく感じていたことではあるのですが、
自分の中に、何かものすごいツールが
隠されているというのをリーディングで
認識していました。
けれど、それを認識した当時は、
そんなすごいツールを扱えるような
感覚は全くなかったし、使おうとも
思えなかったのです。
それははるか遠くにあって、
自分とは関わり合いのないもの
のように感じていました。
にも拘らず、そのすごいツールは
私のために在ることも
どこかで感じていました。
それが最近のセルフワークで、
あれが使えるようになりたい!
とはっきりと思えるようになりました。
まだまだあれが使えるようになるまでには
色々ボディ改造をしなければいけなさそう
ですが、
あれを使っている自分をイメージしながら
今の自分に向き合うと、ゾクゾクするくらいに
エキサイティングで、取り組みがいがあります。
深いところから、喜びの感覚が湧き上がって
くるんですね。
喜びの感覚が非常に薄い私にしては、
とても珍しいことではあります。
人は、本当に魂が願っていることに
取り組んでいるとき、
こんな感覚になるのでしょうね。
そう言えば、この感覚、
10代の頃に無性に感じていたのを
思い出しました。
けれど、当時はまだどう見ても
そのタイミングではなく、
状況も整っていませんでした。
あれから30年経って、
今自分が在るべきところに立っていること、
深い感慨を覚えます。
自分の中の可能性に手を伸ばすことは、
喜ばしいことであります。
誰しも、そんな可能性が
自分の中に埋もれているもの
なのかもしれません。
それに手を伸ばそうとするか、
諦めて背を向けるか。
それとも、そもそも
そんなものにさえ気づかないでいる
人生を過ごすか。
可能性は、常に私たちを呼び続けています。
その声を聞いて応えるのも自分だし、
聞こえなくしているのも自分です。
はるか昔からずっと呼ばれ続けていたのに、
やっと応える気になったというのも、
機が熟したということなのでしょう。
まずは来月の満月、そして
12月22日の冬至を目指して
取り組みを続けていこうかな、
と思っています。
来る新年には、どんな私になっているのでしょうね。
夢中で自分の可能性を開いていく喜びに
祝福を。