今月は前半忙しくて、
それを乗り切った!と思って
ふへ~って一息ついたら、
そのままぽっかり暇になり、
これ幸いとばかりに懸案だった
家の粗大ごみの始末やらなんやらを
片付け、セルフワークもがっつりやったら
再びバタバタ忙しくなっております。
暇になると、以前は結構焦って
じたばた心配したりしていましたが、
やっぱり流れに任せて、その時その時の
やるべきことに夢中になっていれば
いいんだな、と思いました。
心配するエネルギーが無駄ですね。
明日の瞑想会も、まだ少しお席がございますので、
興味ある方は是非どうぞ。
http://healing-gate.com/blog/seminner/fullmoonmeditationmeeting/
ここ最近がっつりやったセルフワークが
なんだかとても楽しくなってきて、
非常にやりがいを感じています。
実際、固く封印したエネルギーが
浮上してくるのは体が痛かったりして
それなりに辛い部分はあるのですが、
そういう一つ一つに対処できていく自分が
とても嬉しいのですね。
以前はこういうことはできなかった。
でも、今はそれができる、という
確信と力が自分の内側から湧いてきて、
パワーと自分への信頼が満ちてくるのです。
封印の奥に固められた
諸々のエネルギーやストーリーに触れ、
統合されていくときの晴れやかさは
何とも言えず、清々しいものがあります。
そうして、部分部分で詰まりが取れ、
エネルギーが通っていくのと同時に
さらに奥からギリギリと別の塊が
浮上してきてそれがまた痛い。。。
そういうことの繰り返しです。
でも、やればやるほど、
確実に自分がクリアに深まっているのは
わかるので、方向性は間違ってないんだな
と感じています。
この肉体の中で生きている間、
あとどのくらいこうして自分を
磨き上げていくことが出来るだろうか。
そんなことを思います。
肉体とともに生きるのは、
確かにメンテナンスが大変だし
無理がきかないし、
丁寧に対話していかないと反乱起こすわで
面倒なことしきりですが、
でも、この体があるからこそ
できることがあるのですよね。
霊性というのは、肉体があった方が、
実は繊細な進化を遂げられるんじゃないか
とすら思います。
スピ界隈の一部では、
肉体があることの方が下等だと
捉える向きもあるようですが、
私はそうは思いませんね。
もしそうだとしたら、
どうしてこれほどまでに
肉体に入り込もうと虎視眈々と
狙っている存在がいるのでしょうか。
それほどまでに、
肉体を持って生きるというのは、
相当な特権なのだと思います。
そういう肉体の中に在って、
自分のギフトを磨き上げていくことの
喜びは、今のこの自分だからこその
感覚なのでしょう。
いつかこの肉体を去るその瞬間まで、
できることを積み重ねていきたい。
そんな思いを強くしました。
ワークは、寝たきりでもできますからね。
(寝たきりにはならない方が良いけれど)
自分の中のわだかまり、
エネルギー的な詰まりや封印に対峙してみると、
そのひとつひとつに、今そのようである理由
というものがあります。
その理由を丁寧に聞き取り、
今の自分だったらそれを解いても
大丈夫なのかどうかをチェックしていきます。
何ら問題なく外せる封印もあれば、
少しずつ、段階を踏んで開いていく
ものもあり、もう少し先になるだろう
というものもあります。
セッションでは、みなさんとにかく早く
こうした封印や詰まりを取り除きたい!
と言われますが、
解いたら解いたで、
今まで抑えてきたものが出てきますけれど、
それで大丈夫なんでしょうかね?
というところへの認識がどのくらい
あるでしょうか。
そういうところが完全にOKでないと、
封印というのは開けないんですよね。
そこはヒーラーが全部やってくれる
わけじゃないんですよ。笑
道筋を示して導いていくことはできますが、
受け止めるのは本人しかできないこと
ですから。
自分がある領域に達したいと思うとき、
それに見合う実力の基盤ができていなければ、
どうやったって届かないものがあるのですよね。
自分の体のあちこちに取り残された
エネルギー的なしこりを見るにつけ、
この状態では確かに、自分が求めることは
できるはずがない状態だ、と
改めて思いました。
でも、それがわかったということは、
求める状態への道筋も見えてきているわけで、
後は夢中で取り組むだけとも言えます。
しかもその取り組みが楽しいとあれば、
何と幸せなことでしょう。
若い頃は、ひたすら人生が苦しかっただけ
だったけれど、年を取っていくのも、
なかなかに良いものだな、と
この年にして思えます。
今、苦しい思いをしている若い人も
少なくないと思いますが、
年を取るのも悪くはないよ、
と、アラフィフのおばさんから
若い人に伝えたいと思います。
だから、人生を大事に生きてね。
若い人たちは年を取った人の希望だけれど、
逆に、人生の先輩世代の人間は
若い人にとっての将来像なのだから、
希望を持てる姿で在りたいと思うのでした。