今日は昨日書いた境界線の話で、
これって国についても言えることだよな、
と思ったので、それについて
思うところを書いてみます。
自分と他者を識別する機能が衰えると、
外部から異物に侵入されても
うまく排除できない、というのは
個人の肉体、精神、霊的レベルで
体感として共通して感じるところです。
このことを国レベルまで広げて考えてみると、
これがまたよく当てはまっていて、
現状の日本を振り返ると、免疫機能不全
そのものだな、と見えてしまうのです。
以前、このブログで国家観について
ほんの少しだけ思うところを
書いたことがありましたが、
そうしたところ、
様々なコメントをいただきました。
かなりセンシティブなテーマであることは
承知していたのですが、ここまで
国を語ることにナーバスな反応が起こること
自体に、この国の病理を見る思いがしました。
地域の集合体の延長としての国を語るのは
良いけれど、「国家」となると違和感を感じる
というようなご意見もあり、
その感覚は非常に興味深いとともに、
ここまで「国家」意識にアレルギーとも言えるような
反応を示すのは、日本ならではなのでは
ないかと思いました。
日本において、軍隊は非常に微妙な
位置づけになっていて、
憲法9条の下にある自衛隊の存在自体、
東アジア随一の軍事力を持ちつつも、
あれは軍隊ではないという建前になっています。
その是非についてここでは議論しませんが、
私の浅い認識では、軍と言うのは
自国と他国との関係性の中で機能するもの
と捉えています。
つまり、
他国が侵略してくればそれに応戦し、
自国を守るもの、
日本では、可能性は非常に低いけれども、
他国を侵略する場合にも、機能します。
ということは、軍と言うのは
国家と言うアイデンティティの下に
成立していると言えるでしょう。
しかるに、現在の日本と言う国において、
国家と言う意識を持つこと自体が
非常にタブー視されているというか、
ナーバスな雰囲気になる現状では、
ある種のバリア機能が阻害されている、
機能しない状態になっている、
と言えないだろうか、と思ったのです。
こういう状態になっているには
そうなるように何十年もかけて
周到に仕掛けられたプログラムがあった
ということは一部の人には
良く知られた事実だけれど、
そのためにまず最初にこの国の国民に対して
されたのが、自国や民族を誇りに思う
自尊心の破壊だったのではないでしょうか。
そして、それを誇りに思うこと自体が
まるで恥ずかしいことのように感じるよう、
公的な教育の中で、また公共性の高い
情報組織によって、暗に陽に、
そういう意識が刷り込まれていきました。
それは今でも継続中ですね。
そして、みんな仲良く、などという
耳触りの良いスローガンによって、
本来健全に守るべき自意識を
変にすり替えられた屁理屈によって
なし崩し的に壊されているのではないか、
と思ったのです。
そうして、邪悪な意図のある
外部からの侵入者を容易に受け入れて
大切な国土や国民の財産を侵食されても
まだボヤボヤしている。
それに対して、もうずいぶん前から
警告を発している人たちもいる中で、
既に手遅れなのではないか、と言う声すら
聞こえてきています。
自国と他国を健全に識別し、
(差別ではないですよ)
日本というアイデンティティに基づいた
軸(国家観)を持っていないということは、
致命的な国家存亡にかかわる危機
と言っても良いような気がします。
なんだかんだ言っても、
まだ日本は豊かだしとても恵まれている
国だと思います。
だからといって、このまま
免疫機能不全が続いては、
日本の良き文化、美しい国土、
善良な国民が守られていくのか
甚だ怪しいところです。
自他を認識することは、
差別をすることではありません。
自他の差を知って、
何を受け入れ協調させ、
何を受け入れず排除するのか、
しっかりと見極めなければいけないと思います。
何でもかんでも受け入れるのが良い
わけではないでしょう。
そういう意味で、
国としてのアイデンティティ(国家観)を持ち、
境界線をしっかり保つことは、
決して罪ではないし、必要不可欠なこと
ではないでしょうか。
日本の国において、
アイデンティティの軸となるのが
天皇の存在です。
日本国憲法にも、まず第1章1条に
天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴
であると明記されています。
ということは、日本の国体を解体しよう
と思う存在にとって、天皇は絶対に攻略
しなければならない存在でしょう。
最近では時事的な話題もありましたし、
少し前からまことしやかに流れる
天皇家に関する様々なネガティブな噂があります。
真偽のほどは私にはわかりませんが、
先の時事的な話題の一連の経緯を見ても、
あれは国民の心が皇室から離れていく動きを
間違いなく作っただろうな、と言う気がします。
まだまだ書きたいことはあるけれど、
それはまた別の機会に。
堅苦しい話題になりましたが、
この国に生きる一人一人が、
日本人としての健全な精神を失わないために
何ができるかを考えるきっかけになれば、
と思いました。