今日は徒然、物にまつわる執着や
思い入れの思念についてのお話でも。
ここのところ、急に寒くなってきたので
慌てて衣替えをして、お布団なんかも
冬用のものに替えたりしていたのですが、
それに伴ってもう着なくなった洋服などを
処分しようと、色々整理していました。
クローゼットを見れば、何年も着ていない
スーツやら何やらが色々あったのですが、
簡単に処分できるものと、
気持ち的に処分できないものがあって、
自分でもその執着の仕方が面白いな、
と思いました。
サロンでもたまに、物が捨てられない、
整理できないんです、と言う方のお声を
伺うことがあるのですが、
一概に、物が捨てられないと言っても
色々な要因があるのだろうと思います。
私の場合は、割と物への執着は少ない方で、
どちらかというと、要らなくなったら
すぐに捨ててしまう方だと思います。
けれど、
今回なかなか処分に踏み切れなかったのは、
その服に思い出があったからなんですね。
ただの物なのだけれど、そこに込められた
それを買ってくれた人の思いが
捨て難かったのです。
幸い、それを取っておいたとしても
スペース的にはそれほど負担でもなかったので、
気が済むまで置いておこうと思いました。
思い出と言っても、悪い思い出の方は
どんなにお値段の高かったものでも
即廃棄してしまうので、今回、
自分がこんなにも執着があるんだとわかって
なかなか面白かったです。
人って、多かれ少なかれ
思い出によって支えられているところが
あるんじゃないでしょうか。
そういう思い出が、
自分のアイデンティティを構成する
一つの要素になっている。
だから、それと強く結びついている物を
処分するのは、自分自身のバランスが
否応なく変わってしまうので、
抵抗もあるのでしょう。
逆に、捨て去りたい思い出、
縁を切りたい、卒業したい要素なら、
物を処分することで、否応なく
内面的な変化を起こすことも
もちろんできるでしょう。
失恋して前の恋人との思い出の品を
処分したりってこと、あなたも
経験があるのではないでしょうか。
そう言えば、
前の恋人からのプレゼントを
捨てずに使っていたら、今のパートナーが
ものすごく嫌がって喧嘩になった
と言う話を聞いたことがあります。
本人にしたら、別に他意はなく、
単に「便利だから」使っていただけ
なんだそうですが、
その物が本人にとってどういう意味の
あるものなのか、単に機能的な便利さ以上に
思い入れがあるのかどうかは、
本人の問題ですから、外からは
なかなかわからないですよね。
本当に思い入れなど全くなく、
どうでもいいものであれば、
特に女性の場合は
堂々と使っちゃうことも
あるのかもな~と思いました。
ただ、物にはしばしば、
そこに何らかの思念がこもっている
ことがあります。
自分の生活領域に、
異質に感じられる思念のこもった物が
存在しているとき、非常に違和感を感じて
排除したくなるというケースは
あるでしょう。
そういう場合は、その喧嘩の原因が
嫉妬心だとは一概には言えないのでしょう。
物にこもった異質な思念と言えば、
アンティークのものなどは
特に気を付けたいですね。
昔、親戚の伯母さんが、結婚のときに
婚家からお祝いで贈られた朱の漆塗りの机を
自分が入院している最中に、お嫁さんが
骨董屋さんに処分してしまったという
ことがあったそうです。
伯母さんは自分の人生を否定されたみたい
と言って相当にショックを受けると同時に
激怒し、買い戻すと言っていましたが、
そうこうしている内に亡くなられて
しまいました。
多分、相当に良い品物だったと思いますが、
そういう思いのこもった物を次に購入した人は
どんな思念を受け継ぐのかな、と
ちょっと恐くも感じたことがありました。
そういういきさつのある品物の他に、
たとえば仏像などが骨董屋さんで売っている
のを見かけることがありますが、
これも結構恐いですね。
余程わかって、丁寧にご供養できる人なら
良いのでしょうけれど、
どんな人がどんな祭り方をしていたか
わかりませんからね。
仏様のお姿の中に、
よからぬ者が入り込んでいない
とも限りませんし。
仏像のように毎日拝む物でなくても、
ちょっとした執着で物に触れても、
念の力が強い人なら、エネルギーが
入ってしまうこともあります。
そうしたエネルギーに触れて、
健康を損ねてしまうケースも
実際に見ているので、
人が大事にしているものには
不用意に触らない、触らせない
というのもエチケットかな、
と思います。