セッションしてると、
何らかの理由で様々な力を誤用して
失敗した記憶を持つ人を
よく見かけます。
その力というのは、
サイキックな力だったり権力だったり、
お金だったり色々ですが、
痛みの記憶になっている人に
共通するのは、
失敗した~!この力がいけないんだ!
だからもう使わないように注意深く
封印しよう!
そして二度と間違いを犯さないように
きつ~く戒めをしておこう!
ってやってることなんですね。
その失敗の記憶が失敗のまま、
戒めとなって封印をかけている。
それはとてももったいないことだな~
と思います。
そういうものが無意識下に入っていると、
当然、その力を使おうとすると
がっちりブレーキがかかりますよね。
顕在意識では、これからその力を使って
どんどん成長していこう、拡大していこう
としているときに、
いやいや、それ使っちゃうと
また痛い目を見るからセーブセーブ!
ってやってしまうのです。
こういうときに、ブレーキを外していくには、
失敗の記憶をちゃんと糧に変えて
昇華させることが必要です。
単にブレーキを外しただけでは、
またあの失敗の轍を踏む可能性が
大いに残っているので、
恐くて前に進めません。
そうして失敗したのかきちんと検証しないと、
何がいけなかったのか、わかりませんよね。
それに、
失敗して痛い目を見たということは、
そこに動揺やショックや悔しさや悲しみ、
喪失感や怒りなどなど、様々な未完了の
感情のエネルギーのしこりがあるわけです。
こういうのもきれいに統合してやらないと、
いつまでもざわざわざわざわ不穏な
乱れた引力を放って、無意識にも
私たちの思考や言動に影響を与え続けます。
こういう感情の処理がうまくできないので、
事実に直面できず、蓋をするという
原始的かつ場当たり的な対応しか
できないのです。
セッションでも、
痛~い失敗の場面に向き合うことが
良くありますが、
混乱し、動揺している嵐のような
感情のエネルギーを、少しずつ受け止め、
統合しながら、
もっとも見たくなかった、
受け入れたくなかった現実に直面し、
本当はその時にすべきことをし、
言うべきことを表現したりということを
イメージワークでやっていきます。
つまり、失敗したその場面を
やり直すんですね。
当時はそうするしかできなかったけれど、
噴き上がる感情をうまく処理できる今なら
もっとできることがあるし、
気づけることがあるのです。
そういう状態でやり直すから、
別の選択肢を選ぶことができるわけですね。
そうでなければ、何度やり直したところで
同じ選択しかできないでしょう。
人生のあらゆる選択というのは、
たくさん選択肢があるようでいて、
そういう意味では選択肢はなく、
それを選ぶことは必然なのでしょう。
あのときとは違う自分で在る状態で、
その力を適切に扱うことができるのか。
できないのだとしたら、
それはなぜなのか。
見えていないところがあるのか、
足りない要素があるのか。
繰り返しビジョンと感覚を確認しながら、
今の自分なら、この力を使っても
過ちを犯すことはない!と感じられるまで、
チェック&修正をしていきます。
そうやって、初めて
戒めもブレーキもかけないで
力を健全に使えるようになるのです。
戒めが必要であるということは、
過ちを犯してしまう可能性の種が
自分の中にある、ということを
意味しています。
だから、戒めの必要のない状態まで
もっていかないと、それは不完全だと
私は思っています。
力を使うには、
使うだけの力量というものが
絶対に必要です。
分不相応な力を乱用すれば、
自分も他者をも傷つけるのは
道理でしょう。
大きな力を持っているのなら、
それを健全に扱える自分を磨くことは
必須です。
力を望む人は多いけれど、
力を得ることしか見ていないと、
よこしまな輩がその欲望を貪ろうと
引き寄せられてきます。
そうして、その状態で力を得てしまえば、
力に飲み込まれ、喰われてしまうのです。
だから、よくよく注意しましょう。
その力に向き合って、
自分がどうそれを生かすことができるのか、
良く対話することです。
自分の器ができるまで、
開くことのできない扉があります。
力を使うことを望むなら、
それにふさわしい自分を磨き、
育てましょう。
その力を使って、
自分も他者も、みんなが幸せになるように。
貪らずとも、豊かで幸せになる道は
あるのですから。